48人死んで”どハッピーエンド”な忠臣蔵?『元禄バロックロック』
忠臣蔵で討ち入りして、どハッピーエンド?
柚香 光
芝居ショー共に初めて通しをしました。
忠臣蔵を題材とするお芝居は、人間の思いの交錯や葛藤、立ち回り大ナンバーなどありながら快活なエネルギーに満ちた人物たちが次々と登場し、最後は、どハッピーエンドな作品です。
陽の気に満ちた、心に爽快感を抱いていただけるような作品になればと思っております。
水美さんのキャストボイスによると、討ち入りの立ち回りの稽古もあったとのことなんですけど、
忠臣蔵で討ち入りして、どハッピーエンド?
時を巻き戻す時計で、討ち入り回避では無いの?
キラのお父さんが吉良上野介だよね?
少なくとも90分で48人死ぬんだよ?
恋人のお父さんが殺されて、陽の気に満ちた、心に爽快感を抱くハッピーエンド?
どうやって?
もう、輪廻の向こうでめぐり逢いは再び!オチ?
討ち入りの日=吉良上野介の命日
赤穂義士祭
期間 毎年12月14日
この日はつまり、吉良上野介の命日でもあるわけで、吉良上野介の領地であった西尾市では、12月14日は別の意味を持つのですね。
吉良家墓所には義安以下、代々の墓が建ち並び、毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌(まいさいき)法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れます。
吉良上野介の地元での評判は、
上野介は、地元では治水や年貢の減免などをした名君として「吉良さん」と慕われている。
地元以外でも、宗派を越えて高僧らとつきあい、歌会始で上皇から名字を詠み込んだ和歌を贈られている。
江戸城での事件後、浅野家と近しい熊本藩主にこまやかな配慮をした手紙が熊本博物館に残り、長崎・オランダ商館居留のドイツ人医師が「彼は立派な人物であった」と書き残しており、加古さんは「忠臣蔵の芝居などで描かれている底意地の悪い憎々しい人ではない」と推察している。
そして討ち入りされた吉良家は取りつぶし。
きらよしなか【吉良義央】
1641‐1702(寛永18‐元禄15)
江戸中期の幕臣。赤穂事件の中心人物。通称上野介。禄高は4200石。1668年(寛文8)に父の跡をついで高家(こうけ)となり肝煎(きもいり)をつとめたが,1701年(元禄14)3月14日に江戸城中で,礼式指導で侮辱されたとして赤穂藩主の浅野長矩(ながのり)に斬りつけられて負傷し,辞職して翌年隠居した。
切腹となった長矩の家臣は,義央を浅野家を破滅に追いこんだ事実上の仇敵とみなし,義央は02年12月14日赤穂浪士に邸を襲われて殺害され,吉良家はその際の対処の仕方が〈不埒〉であるとして取りつぶされた。
「おめおめ討ち入りされるとは不埒である」ですって。令和の世には、元禄の価値観は遠くなりにけり。
古来より普遍的に愛されているこの「忠臣蔵」を、愛とファンタジー溢れる令和の宝塚歌劇として、エンタメ感たっぷりにお送りする「谷 貴矢 史観」はいかに?