宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

宝塚がヤンキー文化に手を出すリスク




宝塚とヤンキー文化の親和性を考える



『HiGH&LOW THE WORST』映画続編決定‼【2022年初秋ROADSHOW】


ま、治安の悪い街で、「ヤンキーたちが殴り合う話」だよなあ・・・

ヤンキー(Yankee)


1 米国人の俗称。元来は米国南部で、北部諸州の住民を軽蔑的に呼んだ語。

2 不良青少年。第二次大戦後、髪型やファッションなどで、米国の若者の風俗をまねた青少年をさして呼んだ語。


[類語]与太者・ならず者・地回り・やくざ・暴力団・無頼漢・無法者・ごろつき・ごろ・ちんぴら・不良・番長・硬派・暴走族・走り屋・愚連隊・極道・アウトロー


「無頼漢」って、宝塚のバトラー船長とか、ラッチマンとかでしか聞かないなあ。



実は宝塚の舞台の上にも、「HiGH&LOW/ハイアンドロー」シリーズの舞台であるSWORD地区的なエリアはよく出てくるんですよね。



SWORD地区とはどんな存在かリアルに考えると、製薬工場の撤退後に残された汚染された跡地があり、大規模再開発のための住民立ち退きで揉めていたり、社会のひずみ、暗い部分をかかえた街。


宝塚でも、


禁酒法時代を舞台にした作品に出てくる、ニューヨークのイタリア人移民街やユダヤ人居住区、


ジャズ鳴り響くニューオリンズ、


野郎どもがタンゴを踊る、ブエノスアイレスの港町ボカ地区、


宝塚では美しく理想化して処理されている遠い街だけれど、これらの街を日本で例えれば、


高度経済成長時代に日本中から日雇い仕事を求めて労働者が集中し、その後の経済の低迷と労働者たちの高齢化で街が荒廃していった、1泊3,000円以下の簡易宿泊所が密集するような、社会の暗い部分をかかえているエリアでしょう。


「HiGH&LOW」シリーズでは、そのへんは社会学、政治学的視線ではあんまり突っ込まずに、スカッとする喧嘩バトル、男の絆と気合エンタメとして描かれていますが・・・


遠い昔の異国のおとぎ話のような貧乏ではなく、現代の日本を舞台にした、社会の貧困問題と切っても切れない問題をかかえた題材。



管理人が育った地元も、いわゆる地方のヤンキー的気質のエリアで、通っていた公立中学校は当時香川県で一番荒れていたのです。


「HiGH&LOW」の喧嘩シーンを見ると、自分の中学校時代の校内暴力事件を思い出して、なんだかやるせなくなるのです。学校に警察が来たしなあ・・・



小林一三は当初から宝塚少女歌劇のメインターゲット層を、阪神間の郊外に月賦で家を買い、阪急電車で大阪のオフィスに通勤したり、日比谷のオフィス街で働く社会階層に設定していました。


戦前に奥様は田んぼを耕すことのない都市部の専業主婦で、娘さんは女学校に通えるような世帯を相手にしていたのでしょう。


戦後も、宝塚の観客層は、世帯主は大卒で、娘さんを私立の女子校に行かせるような世帯がメインだったのでしょう。


そんなハイソ志向の宝塚が、ヤンキー文化に接近するとは意外です。


宝塚が「HiGH&LOW」の世界に接近する意味


”ブロードウェイミュージカルの新作”に興味を持つ層って、今の日本では相当に高所得でハイソな、文化的なインテリ層だと思います。


宝塚の1万円近い、東宝の1万円以上するチケットを月に何枚も買えて、年に数十回観劇って、自分が都会に住んでいたとしても、今の私の給与水準のままではできません。


でも、そんなハイソな層は、正直今の日本の多数派では無い。分母が少ないと思います。


ハイソ・インテリ・オタク相手に特化したコンテンツより、ヤンキー向けコンテンツのほうが裾野は広い。


宝塚を未来に向けて持続可能なものとするために、「HiGH&LOW」シリーズのファン層にアピールする。


そして宝塚版「HiGH&LOW」で初めて宝塚に触れた層が、次も宝塚観劇に来てくれるか。


そこで柴田作品的な「いわゆるタカラヅカ調作品」に来てくれるか、「面白い」と思っていただけて、新規ファンをリピーターにできるか。


それが出来なければ、高いお金を払ってコラボしても一過性になってしまうし、宝塚のイメージ戦略も迷走してしまう。


理事長の勝算はいかに?