宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

BS『桜嵐記』感想 出陣式は弁内侍の夢オチだったのか



この物語は、ある老人と尼僧の昔語りから始まる。


正行が何の為に生き、死んだのか。問うても応えなく、


ただ時のあわいを、風の吹き渡るばかり。



弁内侍は正行の死後、どう生きたのか。


鎌倉幕府の崩壊も、建武の新政の挫折も、足利幕府の成立も、南北朝の合一も見届けて、


ただひたすら菩提を弔い、和歌をよむ40年。


正行が何の為に生き、死んだのか、もう自らに問うのはやめた、と尼僧はいった。


彼女は一つの世界の死の中に生きた。


正行の死の意味を問うのをやめ、その死だけを信じた。


尼僧は言う。


出陣式のあの日にも、吉野の川のほとりには、こんな花が咲いていたと。


ずっと疑問だった。


負け戦の南朝に、こんな豪奢な出陣式はあったのだろうか。


そもそも四條畷の戦いは、1348年2月4日なのだ。



この夢のように美しい光景は、花やかに、さかりの花のようにしんとして咲き誇っているのは、


弁内侍の心象風景ではなかろうか。


男は戦いの修羅に散った。


男の修羅は、意味を問うのをやめた女の心の中に吸い込まれることで氷結し、


美しい絵巻になった。


弁内侍が上田久美子であり、絵巻の名が、「桜嵐記」だったのか。