『王家に捧ぐ歌』がロシア対ウクライナに見えて困る
木村先生、やっぱりお衣裳を半端に変えたら、エジプト対エチオピアがロシア対ウクライナに見えて、夢の世界に現実の影が差しませんか?
ハプスブルクとロシアと言えば
クリミア戦争(1853~1856)情勢について、シュワルチェンベルク公爵から
我が国はロシアに付くべきです。ロシアは革命抑えてくれた。借りを返すチャンス!そのついでに、トルコの一部を我が領土に。
とにかく冬寒くて、港も凍るロシア。
冬でも凍らない港が欲しい!
オスマントルコにある海峡を越えたら、地中海なのに!
ロシアは黒海の向こう、すっかり落ち目のオスマントルコを攻めるが、イギリス&フランスはこっち来るな!で戦争になる。
このクリミア戦争に従軍して活躍したのが、近代看護学を確立したナイチンゲール。
野戦病院で、負傷した兵士がセーターを脱ぎ着しやすいように、前あきにしてボタンをつけたのが、カーディガンの始まりだそうです。
宝塚のお芝居でも、そこここに出てくるロシアですが、ややこしいのは、
ロシアとウクライナは、全く別の国なのか?
キエフはロシアの原点だった?
スウェーデンにいたヴァイキングのルーシー(ルス)族が、今のロシア北部のノヴゴロドにノヴゴロド国を建国。この”ルーシー”がロシアの語源。
9世紀後半、首都を今のウクライナのキエフに移し、現地のスラヴ人と融合。キエフ公国(キエフ・ルーシ)となる。
10世紀になると、ウラジミール1世がギリシャ正教に改宗。現代の日本人がロシアと聞いて思い浮かべる、ネギ坊主の屋根の正教会が建てられる。
日本で言うと弥生時代の土着の豪族が支配する社会だったところに、大和朝廷が成立、仏教を受容したようなもので、
ロシア最初の統一封建国家 はキエフ公国(キエフ・ルーシ)であった。
ある意味、ロシア(ルーシー)がロシアになった起源はキエフにあった。
だからと言って、軍事侵攻の理由には全くなりませんが。プーチンはキエフはロシアだと思っているのかも。
ハプスブルグとロシア帝国の共通点:どっちも紋章が「双頭の鷲」
なんでハプスブルクとロマノフの紋章が同じかというと、もともと双頭の鷲は東ローマ帝国の紋章なのですね。
東ローマ帝国は、キエフ公国とも交流があった。
キエフ公国が滅んだ後に成立したモスクワ大公国は、東ローマ滅亡後に皇帝家の皇女を妃に迎えたことを根拠に、東ローマの後継者を自任し、「ツァーリ」「インペラトール」と「皇帝」を名乗った。
西ローマ帝国は476年に1度滅亡したが、ローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国とハプスブルク家も、双頭の鷲の紋章を採用。
ハプスブルクもロシアも、「偉大なローマ帝国の後継者」を自認しているという意味では、似た者同士だったのですね。
プーチンは「ツァーリ」になりたいのだろうか。
ソ連とウクライナ
1922年12月末、ロシア、ベラルーシ、ザカフカスの3共和国とソ連邦を結成した後も、豊かな穀倉地帯だというのに、農業のことを何もわかっていない官僚が無理やり進めた農業の集団化が失敗して、大飢饉で犠牲者多数。
スターリンによる大粛清で、またもや犠牲者多数。
第2次世界大戦では、ドイツとソ連の主戦場となり、犠牲者多数。ナチスに占領されて、現地のユダヤ人が虐殺される。
1991年にソ連から独立。
民族構成は、
ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、モルドバ人、クリミア・タタール人、ユダヤ人等(2001年国勢調査)
少数派というには多すぎる、ロシア人の存在。この民族構成により、親欧州派と親ロシア派とのシーソーゲームは続き、今回の事態にいたるのです。