男性版『王家の紋章』?ヒロインはアムネリスだった『王家に捧ぐ歌』感想
2022年2月26日、宝塚星組御園座公演『王家に捧ぐ歌』のライビュを見てきました。
公式あらすじ
ヴェルディのオペラとして有名な「アイーダ」を、宝塚バージョンとして新たな脚本、音楽で上演した『王家に捧ぐ歌』。
古代エジプトを舞台に、エジプトの若き将軍ラダメスとエジプト軍に捕らえられ奴隷となったエチオピアの王女アイーダとの悲恋を、荘厳な音楽に乗せて華やかにドラマティックに描いた本作
これまでの上演では、金ぴか✨キラキラお衣裳で演じられた物語を、ビジュアルを一新し、若き将軍ラダメスが米軍のM-65野戦用フィールドジャケットを着て駆け回る新演出と発表され、ファンがSNSで賛否両論となった今作。
観劇前は、「木村先生は、古典の「アイーダ」物語を、古代のラブロマンスとして消費するだけでなく、現代にも繋がる普遍的なテーマとして捉えてほしい」ということを言いたいのかな?と思っておりました。
4500年前の古代エジプトとエチオピアの、戦争と愛の物語は、奇しくも2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻し、情勢が刻々と動く中で上演されたものを配信で観劇するという、稀有な体験となりました。
シンプル装置とモノクロお衣裳はアリだと思うが、映画館のスクリーンがモノクロ映画っぽくなった
装置はパピルス模様の大きな◢が90度廻って階段になり、V字の谷になり、繋がってフィナーレの大階段になり、と効率的で良かったし、
エチオピアの黒い革ジャンや、女たちのアフリカの匂いのする衣装も似合っていたと思います。
エジプトの将兵や女官の白が基調の衣装は、アムネリス様やファラオの豪奢を引き立てていてよかったと思います。
生の舞台で見たら、歌の迫力に圧倒される演目なのだろうと思いますが、映画館では、大画面がほぼ白黒で、モノクロ映画を観ているようではありました。
ラダメスとアイーダの「セカイ系」っぽさ
ラダメス(礼)のM-65フィールドジャケットは、戦闘シーンでは動きやすそうで、礼さんの身体能力を存分に発揮していてアリだったと思います。
ただ、通常勤務服(コブラ)のままで王族の前に出る、ファラオの婿養子候補、ねえ。せめて礼装しようよ。
ラダメスは、一兵卒が敵の奴隷の女性と通じてしまった、というわけではない。将軍という職業軍人のトップで、兵士の命を、国家を背負っているのに、敵国の王女であるアイーダに国家機密をべらべらしゃべるのも、軍人の自覚がどうよ、とは思いました。
愛国心と、個人の愛とで葛藤している感が薄い将軍だなあと思ってしまいました。
アイーダは舞空さんのしなやかな少女っぽさが、祖国より愛まっしぐら、16歳のジュリエットっぽいリアリティがありました。
ラダメスとアイーダ、ちょっとセカイ系というか、「きみとぼく」の愛が「社会領域(国家)」を飛び越えて「世界の平和」に繋がっている感。
特にラダメスは国家を守る将軍なのに、「世界」や「社会」のイメージをもてないまま、直感的に『世界の平和を希求』している感がありました。
イマドキなのですが、それでファラオの婿になって大丈夫だったのだろうか?
途中で脳内で、
現代のヤンキーが古代エジプトに転生して、現代の知識を生かして戦闘無双していたら、21世紀の人間としての倫理観や考古学の知識が「尊い予言」と判断され、将軍になっちゃった
「男性版 王家の紋章」
として見ていました。
ミュージカル『王家の紋章』神田沙也加・浦井健治・新妻聖子・平方元基が、古代エジプトで深い愛を熱演
アムネリス:個人と国家、愛と法の相克
古典の読み替え物語としての「アイーダ」世界のヒロインは、アムネリス様でしたね。
原作のオペラでは、ラダメスが漏らしたのは進軍コースの情報で、警備情報を漏らしてファラオが殺されるわけではなく、ラダメスを裁くのも神官たちで、アムネリスは減刑嘆願するが、判決は覆せない。
「王家に捧ぐ歌」は、ラダメスの情報漏洩でファラオが暗殺され、アムネリスが権力者として即位し、愛する人に処刑を命ずるという、国家と個人、愛と法の相克が強調されていて興味深いです。
虚しさを踏み越えて、それでも不戦の誓いをたてる。現代に古典「アイーダ」を読み替え上演は、誰も想像しない形で、世界の今へのメッセージとなりましたね。
音楽ももっとアレンジしても面白かったかも
ただ、音楽は、「20世紀の宝塚作品の佳曲」だとは思いますが、録音の音の厚みが薄いというか。
絵面がモノクロなぶん、エジプト勢はアラブ風味に、エチオピア勢の音楽はもっとアフリカ色を出したアレンジにしても面白かったかもしれません。