宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

週刊新潮の宝塚の記事が凄かった!



私は普段から「歌劇」も「宝塚グラフ」も定期購読していないくせに、「週刊文春」「週刊新潮」をこよなく愛読するゲスの極み(元)乙女でございます。


現在書店で販売している「週刊新潮」6月16日号に、宝塚についての記事がありましたので、さっそくチェックいたしました。


まず結論。


安心してください!スキャンダル記事ではありません。



大東文化大学准教授、周東美材氏による、


”「お茶の間の人気者」はどう作られたか?「ジャニーズ」「AKB」の源流は「宝塚」にあり”


というタイトルの、小林一三氏が宝塚少女歌劇団を立ち上げた頃を紹介する、すこぶる真面目な記事でした。



・宝塚はなぜ「未婚女性」だけの「歌劇団」なのか?
→鉄道会社が“ファミリー層"を郊外に誘致するための策だった!


・なぜ「女優」ではなく「生徒」なのか?
→当時は女優に芸者のような、どこか性的でじめっとしたイメージがあったので、差別化のため「女学校の生徒」という立ち位置にこだわった。


・宝塚の女生徒たちは、なぜ「女の命」髪を切ったのか?
→生徒はまだ「女」ではなくて「子ども」だから。


などなど、


紹介されている歴史的事実は、宝塚ファンなら、だいたい知っている内容です。


興味深いのは、著者が社会学者で、宝塚の歴史を紐解きながら、ジャニーズやAKBにも顕著に見られる、日本の芸能界の


「未熟さ」を愛でる系譜ー わたしたちはなぜ、「未完成なスター」を求めるのか?


にまで言及していること。


確かに宝塚って、今でも「新人公演学年らしからぬ達者な芸の男役」とか「成熟した女の色香をまとった娘役」が別格になりがちで、


未完成なスターの成長物語を見守りたい!的な、ブロードウェイや劇団四季ではちょっと考えられないような楽しみ方がありますよね。



著者の周東美材氏には 「未熟さ」の系譜 という著作があります。


「未熟さ」の系譜 (新潮選書)
「未熟さ」の系譜 (新潮選書)
新潮社


ジャニーズ、宝塚、女性アイドル……

なぜ私たちは“未完成なスター"を求めてきたのか?


「お茶の間の人気者」を通じて日本文化の核心を解き明かす、気鋭の社会学者による本格論考


卓越した歌唱力ではなく“若さや親しみやすさ"で人気を得る「女性アイドル」、ジュニアからのデビューが一大イベントとして注目される「ジャニーズ」、入学試験の様子が毎年報じられ、未婚女性だけでレビューを上演する「宝塚歌劇団」……。


完成された技芸や官能的な魅力より、成長途上ゆえの可愛らしさやアマチュア性こそが心を打ち、応援され、愛好される、これら日本独特のエンターテインメントの鍵は「未熟さ」にあった。そしてそれは、近代家族と大衆メディアの結びつきが生んだ「お茶の間の願望」の帰結だった――。


明治以降に誕生した「子どもを中心とする近代家族」が「お茶の間」という独特な消費空間を生成し、「未熟さ」を愛でる文化を育んでいく過程を、丹念なメディア史研究によって鮮やかに描き出す。


・やたら高音の黄色い声で歌う「うたのおねえさん」的な娘役歌唱


・宝塚音楽学校が、ジャニーズやスクールメイツの「アイドルの育成システム」の原点?


・なぜ毎公演ショーやフィナーレが付くのか?カワイイ贔屓が歌って踊るショーを見る楽しみは、「ペット」を愛でるようなもの?


・山口百恵もそうだったー青い果実が成熟し、卒業するまでの「成長物語」を応援するという体験


・ザ・タイガース、アルフィー、ヴィジュアル系バンド…なぜロックバンドが「王子様ファッション」を身にまとうのか?


・日本のアイドルが「恋愛ご法度」なのも宝塚の影響?



日本の芸能アイドルの、よく考えたらアメリカのショービジネスとかグローバルな韓流アイドルではお目にかかれない、特異な文化の源流は、


大正時代に「宝塚少女歌劇」が大衆に受け入れられ、日本人に「歌って踊るアイドルってこんなもん」という強固なイメージを植え付けたことが遠因では?


宝塚の始まりが、温泉のプロの芸者たちが「男役」を演じる女歌舞伎のようなものだったら、今の日本の芸能はだいぶ違ったものになったのかも知れない、


といったことを考えさせられ、興味深かったです。



しかし何で今、週刊誌でこんな記事が?


・・・あ、総力特集は「海老蔵、団十郎襲名」だわ。


歌舞伎ネタを入れるなら、対で宝塚ネタも入れちゃえ!くらいのノリ?