BTSの苦悩はウエクミやリストと同じだった
BTS解散でメンバーが発表したメッセージが、上田久美子さんの例のインタビューそっくりだった件
先日、BTSがグループ活動を休止し、ソロ活動に移行するとの報道がありました。
まあ日本でも、アイドルは昭和の頃は30歳くらいまでには解散して、俳優業や歌手に転向したり、芸能界を離れて別の人生を歩んだものです。
韓国では男性には徴兵制度があり、グループのメンバーも20代後半とのことで、兵役のことなど日本とは状況が違うこともあるのだろう、とは思っていました。
いろいろと報道記事を読んでいると、東アジア文化圏出身グループとしては、世界の音楽史上もっとも成功したBTSが、
19世紀のリストや、令和の上田久美子さんとも重なる
「売れることを求められる音楽」と「やりたい音楽」の乖離に苦悩を抱えていたのだなあと、しばし考えてしまいました。
BTSの9年間を振り返るMV
BTSのリーダーRMさんの弁
「K-POPのアイドルシステムが人を熟成させるように放っておかず、何かを作り続けなければならない」
BTSこと「防弾少年団(バンタンソニョンダン)」には、『10代・20代に向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ、自分たちの音楽を守り抜く』という意味がこめられているとのこと。
BTSメンバーが曲や歌詞を手掛け、「今を生きる若者のリアル」に寄り添い、「小さなメッセージ」を掬う歌詞を歌っていたころのMV
BTS (防弾少年団) 'I NEED U (Japanese Ver.)' Official MV
なんとなく 寂しくて スワイプしちゃう SNS
指先じゃ リアルじゃない I NEED U
楽しいも 悲しいも もっとシェアしたいよ
この気持ち、届いているの?
「東アジア文化圏で人気の韓流スター」を超え、世界のBTSへと駆け上がるきっかけになった曲
BTS (방탄소년단) 'Dynamite' Official MV
世界的にヒットした『Dynamite』の歌詞の日本語訳
ディスコ加熱 ハマる一方 行こうぜ
今夜 僕は 星の中にいるから
僕の火花で夜空を明るくするのを見守って
ファンクとソウルでこの世を照らす
煌めかせるよ ダイナマイトのように
楽曲の手作り感を脱し、アメリカの世界的な作曲家に依頼し、英語でファンキーでソウルでイケイケパリピな音楽で世界中を席巻。
東アジアのアイドルとして、かつてないワールドワイドな成功をおさめ、韓国と言う国家を代表して国連やホワイトハウスなどで「大きなメッセージ」を語ることを求められるようになったBTS。
BTSはデビュー最初から同年代の悩みをこめた歌詞で共感を得て「メッセージアイドル」と呼ばれたが、
『Dynamite』『Butter』『Permission to Dance(PTD)』など世界的なヒット曲では「自分の話」をすることができなかった。
代わりに、国連、青瓦台(チョンワデ)、ホワイトハウスなどとともに「大きなメッセージ」を語る席が多くなった。
「社会的に、全世界的に重い責任感を持つようになったが、私たちはふさわしくないのかもしれない」として負担感を打ち明けたRMは、
「『Butter』と「『PTD』の時からは私たちがどのようなチームなのかよく分からなくなっていた。
一人で言いたいことはたくさん積もったが、チームとして言いたいことは何もなかった」と話した。
「一人で言いたいことはたくさん積もったが、チームとして言いたいことは何もなかった」
「歌詞が、言いたい言葉が出てこなかった」
「(いつからか)無理やり絞り出していた。今は本当に言いたいことがない。何を言えばいいか分からなくなった」
宝塚の退団あいさつで、憧れの贔屓がこんな発言をしたら、ファンは大騒ぎだし、
私たちファンが喜んで求めるものが、贔屓を苦しめていたなんて、聞いていて本当につらいと思う。
それでも、自身の口で「私は歌を忘れたカナリヤになりました」とファンに言わざるを得ないBTSのメンバーの心境たるや・・・
クリエイターは、「客が求めるものを提供する」ことができなければ、プロとして食べていくことができない。
先日、上田久美子さんの宝塚退団後の新作「バイオーム」配信を視聴して、上田久美子さんが宝塚で
いかにプロに徹し、お客の求めに応じて
「はい、これでいかがでしょう。あなたのお望みのものをすべてとりそろえました。」
と「自分の話」を封印して、「美しい嘘」を提供することに徹してきたことを実感しました。
『バイオーム』・・・チケットや配信の売り上げ、どうだったのだろう。
素人考えでは、「上田久美子さん、劇団に残って、商業主義に徹した作品を作りながら、外部演出もさせてもらって前衛的な「自分の話」も語る、2面作戦をすればよかったのに」と思うのですが、
椎名林檎と宇多田ヒカル - 浪漫と算盤 / Sheena Ringo & Hikaru Utada- The Sun&moon
置きにいこうなんぞ野暮 新しい技 毎度繰り出したいです 苦しくとも
浪漫抱えたら算盤弾いて 究極のど真ん中狙い打ってお願い
置きに行く
野球において、ピッチャーが四球を恐れるあまりストライクゾーンへ「置きに行く」かのように速度や変化を抑えた球を投げることを意味する俗語。
転じて、自分の本当にしたいことやチャレンジすることを恐れて無難な手段をとることも意味することがある。
クリエイターは「置きに行こうなんぞ野暮」な気質の人でなければ、大衆にウケる作品も作れないという二律背反を抱えて生きているんですね。
宝塚でも、「自分の話」を殺して大衆ウケに徹した作品を描いたプロ・上田久美子さんがさっさと退団し、
大衆受けに徹しきれず、「自分の話」を書いて(イマイチ客ウケの良くない)コンスタントに67点くらいの作品を書き続ける先生が、長く残っていたりする。
クリエイティブって、本当に難しいんですね。