宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

ギャッビー相関図 友人・仲間・居候多すぎ問題


『グレート・ギャッビー』人物相関図が出ました!



大半が


「トムの友人」


「マートルの友人」


「ウィルソンの仲間」


「ギャッビー邸の居候たち」・・・


まあ、初演は90分ですっきりまとまったお話、再演時は外箱での上演。全ツ規模の座組でも上演可能なスケールのお芝居です。


(原作も、短編では無いが、長編としては話のスケールとか筋立てが緩いし、最後は「え、それでおしまい?」とあっけない。)


小説ならではの、ニック・キャラウェイの「語り」の魅力で読ませる作品を、1本立ての大劇場娯楽作品に膨らませるために、小池先生が頑張ってくださったのをありありと感じます。


彩海せらさんや晴音アキさんら、シンガー&ダンサー枠がそろった「ジークフェルド・フォリーズ」は、


当時のアメリカで実際に人気を博していた、豪華絢爛にしてスペクタクルなアメリカン・レビューの再現かな?




風刺を中心とするフランス風のレビューに対して,スペクタクル性を重視するアメリカ風のレビューを確立したことで知られる。


代表作は1907年から24年間毎年上演された《ジーグフェルド・フォリーズ》で,いずれもそのときの世相を扱った寸劇や歌,踊りを羅列しており,スペクタクル的効果で人気を博した。


最大の呼びものは美女のコーラスで,I.ダンやP.ゴダードのように,ここから出て後年スターになった人が多い。


現代のヅカファンが見ても感激間違いなし。私たちはこんなのを見たいのよ!






The Great Ziegfeld Official Trailer #1 - Reginald Owen Movie (1936) HD



ジーグフェルトは、アメリカ・ミュージカル界のプロデューサー。


ジーグフェルド・ガールズとよばれる、大勢の美女を豪華な大階段に配したスペクタクル・レビュー『ジーグフェルド・フォリーズ』を1911年から始め、20年以上にわたってニューヨークの名物レビューの一つとなりました。


芝居で寝ようが、ショーで意味不明の冗長なシーンがあって「なんかマンネリ」とか思おうが、


大勢の美女が大階段に勢揃いして、パレード!


これを見ちゃうと、3時間脳裏によぎったあれこれも、ポーンと吹っ飛んで、


「また来るぞ!」と思ってまた来ちゃう、永遠のテッパン演出を思いついたのが、ブロードウェイの巨星ジーグフェルト。


それを(たぶん本人には内緒で)東洋の島国の小さな湯の町でマネして、現代まで連綿と毎日大階段を降り続けているのが、宝塚歌劇団。



ギャッビーの「懐かしさ」の正体


アメリカ人は「グレート・ギャッビー」が大好きで、


モダン・ライブラリーが発表した「英語で書かれた20世紀最高の小説(英語版)」では2位、


米国の大手出版会社、ラドクリフ社が20世紀に英語で出版された世界の小説を対象に選出 した、「20世紀最高の英語小説ベスト100ランキング・リスト」ではなんと1位!



個人的には、深い余韻を残す秀作だけど、そこまで面白いかどうかはピンとこないのですが💦


アメリカ人には、ギャッビーの「1920年代、古き良きアメリカ」の雰囲気がたまらないんですって。



映画『華麗なるギャツビー』予告編1【HD】 2013年6月14日公開




ディカプリオは、この役に魅了されながらも、正式に受けるまでには慎重だったという。


「なぜなら、ジェイ・ギャツビーを演じることは、エキサイティングであるとともに、恐怖を感じたからだよ。


多面的な性格をもった男で、夢見る男。そして悲劇に彩られている。


ギャツビーの人物像は、このうえなく魅力的だけれど、同時にこの物語は、現代のアメリカの始まりの象徴ともいえるものなんだ。


高層ビルなどモダンな建物、自由、物質主義……。現在の我々がもっているすべてがこの時代から始まっている。


そうした物語を引き受けることに重大な責任を感じたんだ。バズは、ジェイ・ギャツビーを演じることは、『ハムレット』を演じることと似ていると言っていたよ。ギャツビーは、アメリカ版のハムレットだとね」


宝塚の舞台でやたら見る「禁酒法時代のギャング」。日本人にはとっても遠いはずなのに、ヅカファンにはなぜか懐かしいのは、宝塚の「大階段のレビュー」が生まれたのが、1920年代のアメリカだったからだと思っています。


日本ではちょうど、時は大正ロマネスク♪宝塚はモンパリ前夜。


2つの大戦に挟まれた、つかの間の好景気に沸く、古き良き時代。前近代に別れをつげ、ハイカラでモダンな雰囲気が都市を覆っていた。


身分の違い、戦争、なにがあろうと、「過去は取り戻せる」と信じて手を伸ばし続ける「絶対あきらめない」ギャッビー。



唐突な例えですが、アメリカ人にとってギャッビーは、日本人が「はいからさんが通る」の、絶対にくじけない、はいからさんを思い浮かべる時のような感覚なのかなあ。