宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

巡礼の年千秋楽 配信を見る前にこれだけは




花組 東京宝塚劇場公演、大千秋楽!


管理人は、宝塚大劇場の千秋楽をライビュで拝見しました。


正直、難解です。


リストとマリーの愛以外の、歴史とか音楽史についての予備知識が無ければ、初見では何がなにやら?になりそうな予感が・・・


ということで、配信前にこれだけは!


1 フランツ・リストの人生について予習しておく。


宝塚の公式HPに、フランツ・リストの人生についてまとめられているので、一読しておくと理解が深まります。






2 フランツ・リストが作曲した曲をチェックしておく


ショパンのピアノ曲で有名な曲はたくさんありますが、フランツ・リストの曲って、現代ではこの2曲が飛びぬけて有名です。




リスト:愛の夢第3番 / 反田恭平





辻井伸行 / リスト:ラ・カンパネラ



リストは長生きしたこともあって、音楽界のドン的な存在になりました。


が、現代になってみると、ショパンのいまだ衰えぬ人気に比べて、リストは正直、一般的知名度はいまいち低い。


上記2曲の知名度が、作曲家の知名度を上回っている感すらある。


ショパンとジョルジュ・サンドのエピソードは有名ですが、リストとマリー・ダグー伯爵夫人の関係は、宝塚での舞台化によって始めて知った方も多いのでは?



リストの音楽史での功績は「交響詩 」というジャンルを確立したことです。



それまでの音楽は「交響曲第1番」などそっけない呼び方だったのですが、


リストは音楽に「泉のほとりで」のような文学的、情緒的なタイトルをつけ、現代のコンセプト・アルバムのように、それぞれの楽曲が関連を持ち、全体で一つのストーリを持っているような作品集を発表しました。



有名なのが、本作のタイトルにもある、リストがマリー・ダグー伯爵夫人との不倫の逃避行で触れた、スイスやイタリアの風景を音楽化した作品集『巡礼の年』


マリーと戯れたスイスの泉のほとりを曲にした「泉のほとりで」

第40回入賞者記念コンサートC級【金賞】 原田 怜/リスト:巡礼の年第1年「スイス」 S.160 より「泉のほとりで」



【解説付き】F.リスト/ 巡礼の年 第1年 "スイス" より『ジュネーヴの鐘 』


配信前に、リストの代表曲をおさらいしておくと、


「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」


と楽しめます。


3 1848年、「諸国民の春」って何?


劇中後半、リストがマリーの元から急にいなくなってハンガリーに行き、慈善活動をして勲章をもらって調子こいているところに革命が起きる、という急展開があります。


ここで急にマリーが


「1848年、「諸国民の春」ね」


と言い出すのですが、ちょっと唐突なので、補足をば




フランス革命、ナポレオン、その後フランスがどうなったかというと、


ルイ18世(ルイ16世の弟)とか、シャルル10世(やっぱりルイ16世の弟)とかが即位し、産業革命で儲けた社会の上層部が政治を牛耳るようになります。


労働者階級からしたら、せっかくバスティーユに白旗を上げさせ、ナポレオン閣下のもとフランスのために戦ったのに、またルイナントカ王と金持ちに支配されている。


ということで、揺り戻しに対する反動で、革命のターンになります。


1830年、七月革命。


1848年、二月革命。


自由主義(われらに自由を!)、


ナショナリズム(フランスばんざい!)


この精神はヨーロッパ中に波及し、1830年にはロシア支配下のポーランドで11月蜂起がおきるが弾圧され、ショパンは「ピアノで哀しみを訴える」としてエチュード「革命」を発表。



ショパン: 革命のエチュード[ナクソス・クラシック・キュレーション #カッコイイ]




1848年、ハンガリーでコッシュート(ドナウ連邦の提唱者)が民族独立運動を行うも、オーストリアとロシアの軍に鎮圧される。


その後も、ハンガリーに独立を!古い帝政を廃し、新しいドナウ連邦を!の運動は続き、エリザベートとルドルフの話に繋がるのです。


有名な「ハンガリー狂詩曲 第2番」は、リストが放浪の人生を送りながらも祖国として誇りに思っていたハンガリーの民族的叙事詩を音楽化したもので、彼の強い愛国心が結実した曲と言われています。




リスト: ハンガリー狂詩曲 第2番[ナクソス・クラシック・キュレーション #カッコイイ]