宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

そりゃリスト出家するわな『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』感想




大劇場版「自己顕示欲の物語」


花組の東京宝塚劇場での『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』『Fashionable Empire』大千秋楽が、無事開催されました。


管理人は、本作の宝塚大劇場での千秋楽の公演のライビュを拝見しております。


その時の感想は、パリのパリピたちによる「自己顕示欲の物語」という印象で、


フランツ・リスト、マリー・ダグー伯爵夫人、ジョルジュ・サンド、ラプリュナレド伯爵夫人など、主要な登場人物が皆、鬱屈した野心を抱えて


「私の才能を世間に認めさせてやる!」


とギラついている物語でした。





特にフランツ・リストは、大劇場版では、前半の夜ごと喝采を浴び、夜ごと違う女を抱き、カリスマ性を秘めたスター“フランツ・リスト”であることに「まんざらでもない」感がありました。


フランツ・リストが精神世界に迷い込み、次に出てきたら神父様!の展開が



え!なんで?自分の煩悩が心底イヤになった?



「あんなに女に、名誉にギラついていたリストが、世俗を捨てた?神に仕えている?なになにどうした?」


と正直戸惑いもありました。








東京宝塚劇場版「生きることは神の道への前奏曲」



いつもなら「100回以上の長丁場の舞台も今日で終わり!お疲れ!」的なお祭り的高揚感もある千秋楽。


今回の公演は、長期休演を余儀なくされ、久々の開幕は即千秋楽。


まるで大劇場初日のような、あるいは1夜の舞台にすべてを燃やす新人公演のような緊張に満ち、


登場人物たちは、宝塚大劇場での千秋楽よりも、ギラつきが抑えられて内省的な演技になった印象があります。


東京宝塚劇場千秋楽では、リストは前半から、夜ごと喝采を浴びようが、夜ごと違う女を抱こうが、


「名声とか、心底飽きた。そういうことじゃねえんだよ。


でも、求めるものがどういうものかわからない。


リストがマリーの元に飛び込むのも、マリーがリストの本質と渇望を言い当てた批評眼に衝撃を受け、


「頼む!俺に無いものを教えてくれ!」




元々知的好奇心が旺盛だったが、幼いころからピアノのレッスン漬け、父が早くに死んだことなどで、学校できちんと高等教育を受けたわけでは無かったリスト。


彼の内省的、哲学的な傾向は、文化的教養あふれるマリーと逃避旅行し、スイスの美しい自然や、イタリアの文化遺産に共に触れる中でさらに高まったそうです。



『巡礼の年 第1年:スイス』第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」


村上春樹によると”田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ”の心象風景の音楽化



リスト 《巡礼の年 第1年:スイス》 S 160 8 郷愁 ル・マル・デュ・ペイ



リストが開拓した、詩と交響曲を融合させた「交響詩」で最も有名な曲


「生きることは死へのプレリュード、つまり前奏曲である」



リスト: 交響詩「前奏曲(レ・プレリュード)」[ナクソス・クラシック・キュレーション #ゴージャス]




リストは、詩と交響曲を融合させた「交響詩」という新たなジャンルを開拓します。


とにかくわかりやすい、聴衆があきない長さでありながら、文学にも劣らない内容を表現する、それがリストの交響詩「レ・プレリュード」。


この作品には、生きることは死へのプレリュード、つまり前奏曲であるという詩が添えられています。


史実のフランツ・リストも50代以降、黒衣をまとって宗教生活に入り、宗教合唱曲の作曲と改革に心血を注いだそうです。


東京宝塚劇場千秋楽の柚香リストは、その後神の道に入る展開が納得できる、内省的で知的な探求心に溢れたリストでした。