宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

一之瀬主演『殉情』配信視聴感想




帆純まひろ主演版は「猟奇的なレッスンを私にして」





大阪道修町(どしょうまち)の薬種商鵙(もず)屋の娘琴(こと)は、幼時に失明し、以後琴三絃(さんげん)に生きる。四つ年上の奉公人の佐助に付き添われて師匠のもとに通い、やがて門下随一となり、春琴と名のる。


春琴は驕慢(きょうまん)な盲目の美女だが、彼女を敬慕し音曲の弟子にもなって献身的に仕える佐助の子を生む。しかし、夫婦の関係になっても、あくまで奉公人で門弟の位置を崩さない。


圧巻は、ある夜何者かのために、春琴がその顔面に熱湯を浴びせられるや、それを見まいとして、佐助が両眼を針で突いて自ら盲目となり、師弟相擁(あいよう)して泣く場面で、以後、春琴は佐助のうちに永遠の美女として生きることになる。


ここに『刺青(しせい)』以来の谷崎文学の、マゾヒズムによる女性拝跪(はいき)の極致がみられよう。


管理人:辞書によると、谷崎潤一郎さんの原作の『春琴抄』のテーマは「マゾヒズム」と「女性崇拝」。


帆純まひろさん主演版の『殉情』では、春琴役の朝葉 ことの さんの、


『佐助!』の呼び方が


『サスケエーー↑!』


紅子:もう、聴いているほうが心臓に悪いよね💦



管理人:最初は、春琴がドSで、佐助がドMに見える。


春琴は「佐助に世話されずにおれない」


佐助は「春琴は、私にしかお世話できない」



お互いに、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出す。



春琴は「佐助に世話されずにおれない自分」となってゆき、



いつしか春琴が意図せず隠れドMで、佐助が意図せず隠れドSになっているという、構造の反転がおみごと。


紅子:ちょっと、宝塚の枠からはみ出しちゃった感もあるんだけど、


舞台を見ていて、春琴の驕慢さから、就寝中に熱湯をかけられる事件を招く流れが、サスペンス的緊張感に満ちていて、


「さすが、大文豪の代表作、ノーベル文学賞候補のブンガクとはこういうものか」という戦慄があったわね。


一之瀬主演版は「春琴様と同じ世界で、音曲を極めたい。盲目になれば、もっと音楽の神髄に触れられるのだろうか」


管理人:一之瀬 航季さん主演版では、春琴役は



『さすけー 足揉んでー💛』



プライドが邪魔して素直になれない、佐助への想いが隠しきれない、ツンデレ彼女。


紅子:大阪の製薬会社の創業家の、ワガママに育てられたお嬢様、くらいの印象で、サディスティックな印象は無いわね。


そのために、三味線のレッスン中に、激昂して生徒の眉間をバチで叩く問題シーンが「え、そんなことする?」感もあるんだけど。


管理人:春琴は音楽の才能に恵まれ、若くして名取となった人。


原作では、本人の演奏技術や作曲能力は高く評価されていたけれど、「天才演奏家だけど、教えるのは下手」


「遊び感覚でお稽古に来ないで!真剣に音楽に向かい合って!」と、相手との音楽への情熱の熱量の温度差を感じると、我慢ならない感はあるわね。






紅子:敬愛する美しいお師匠様が、顔を大火傷して、人相が激変してしまって、


「私の顔を見ないでお世話して。」


と言われたとしてもよ。


自分の眼を針で突いて盲目になって、


「これで見えなくなりました。」って。


ありえねー。無理無理無理。



管理人:私も佐助の行動を「いいね!」とは思わないけど。


「佐助、春琴に忖度しすぎ。そこまでしなくていいのに。自己犠牲が過ぎて可哀そう」とかは思わないのよね。


原作では、佐助が鵙屋に丁稚奉公に出たのは、春琴の失明直後。


紅子:つまり、春琴は佐助の顔を知らないわけだ。


管理人:春琴の頭の中にいる佐助は、たぶんすっごいイケメンだったんじゃない?。


紅子:ま、脳内設定するなら、イケメンにお世話されたいわね。


管理人:原作では、春琴が顔に熱湯をかけられて容貌が変わってしまったのは、37歳の時。


春琴の享年は、58歳。


佐助は春琴の死後独身を貫き、音楽の道で大成して、お弟子さんに「春琴様は本当にお美しかった。」と繰り返し繰り返し言いながら、83歳まで長生きした。


紅子:37歳・・・まあ、美に執着したシシィも、30代後半以降は写真を撮りたがらなくなったそうだし、微妙なお年頃よね・・・


管理人:作者の谷崎潤一郎は、美しい奥様に「私を下僕と呼んでください!」と言って、「主人と下僕ごっこ」をするのが大好きだったらしいからね。


紅子:ガチか。


管理人:熱湯事件が無くても、春琴の「美」は自然の摂理で、どうしたって衰えていく。



紅子:佐助の心の眼に映る春琴は、ずっと美しいまま。


歳を経るごとに、おそらくほんものの春琴よりも、もっともっと美しくなっていく。


在りし日の春琴とは全く違った春琴を作り上げ、いよいよ鮮やかにその姿を見ていたのでしょう。




春琴と佐助が利太郎の別荘のこけら落としに招かれて演奏していたのは、春琴が作曲した「春鶯囀(しゅんのうでん)」という、


「8歳で視力を失った春琴が、ウグイスの鳴き声を聞くたびに、心の視力で見た桜を音楽にしたもの」


原作で谷崎潤一郎氏は「目が見えない人は、目が見える人とは違った感覚で世界を感じていて、その心の眼ゆえに、独特の音楽世界を表現できるのだ」という主張をしている。


紅子:佐助は


「私は、目が見えるけれど、春琴様の見ている世界は、到底感じることができない」


「盲目になれば、春琴様と同じ世界で音楽と向かい合える。春琴様が心の眼で見ている桜が見られる」とすら思っているわけ?


管理人:あの針の一突きで、一瞬の間に外と内が入れ替わり、佐助は心の視力を手に入れ、醜を美に転換した。



紅子:佐助は自己犠牲どころか、美の勝利の世界に飛び込んだのか・・・