宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

宝塚 抜粋はガチャか、運命か



「新人公演主演」という手札を与えられた、その後


「ガチャでハズレを引いちゃって…」などという言い回しがあります。


硬貨を入れハンドルをひねると、カプセル入りのおもちゃが出てくる販売機(カプセルトイ=ガチャガチャ)から来た表現で、


「出てくるものが自分ではランダムで選べない」ルールの、スマホのゲームなどを差すことが多いです。


ネットの世界では、「子どもは親を選べない」という意味の「親ガチャ」「遺伝ガチャ」という表現まであります。


子を持つ親としては、子供に「親ガチャ失敗だった」と言われたら・・・つらいなあ。



私は今のところ、身体スタイルとか、歌唱力とか、ダンス力とか、演技力とかは特に問われない世界で生きています。



ジェンヌたちは、容貌とか、身体スタイルとか、歌唱力とか、ダンス力とか、演技力とか、


本人の後天的な努力はもちろん必須ですが、


親からもらった、「ギフテッド」というか「タレンテッド」の要素が、全く無いとは言えない世界で生きていると思います。


最近、新人公演の配信を視聴するようになりました。


しみじみ思うのは、


「新人公演初主演」というカードは、決っしてガチャで配られるものではない。



そして、その次。


「実力派」や「美味しい別格」を引くか、


「新人公演3回目の主演」「バウ主演」を引くかは、



「華」とか「舞台オーラ」



という、全く数値化できないし、言語化も難しい「タレンテッド」カードが、出現確率を大幅に左右するキーアイテムなんだなあ、ということです。


舞台技術を磨くことにより、自信を持って芸を披露することができて、オーラが増す、ということとは、また別にある、


「天性の華」という、人生何回やり直せば引けるのかわからない、超レアカード。


そんなものはどうやら無い。


でも、ゲームは始まった。


美園さくらさんの哲学は、




物事や人生をゲーム的に捉える見方は、必ずしも否定されるものではないと思う。


肝心なのは、そこに楽しみ方を見つけられるかということだ。


古い哲学者は、「運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する」という言葉を残した。


ネガティブな流行り言葉でなく、こうした金言を座右に置いて気持ちを奮い立たせたいと思う。