全ツで柴田レトロより『HiGH&LOW』をやったほうが
「全ツ」は誰のためにあるのか
自分が実際に見聞したわけではなく、SNSで知った話なのですが、
最近、礼さんや柚香さんが、全ツ会場での終演後ご挨拶で
「今日、宝塚を初めてご覧になった方、いらっしゃったら、手を挙げてくださいませんかー?」
と問いかけてみたけど、
誰も手を挙げなかった。
ことが何度もあるそうで。
宝塚に宙組が出来る前の頃は、全ツといえば1か月近くかけて、津々浦々を回っていましたが、
最近はスケジュール過密で、1度のツアーで6か所くらいしか回らず、
その中で梅田芸術劇場とか、神奈川県民ホールとかでの公演の客席は、ほぼほぼ「もう宝塚ファンになっている常連」が占めているのでしょう。
私は「都市部の既存の宝塚ファンが、リアル地方まで遠征して、席を埋めるのはいかがなものか」という話をするわけではないです。
遠征組の方が現地に宿泊して、美味しいご飯を食べていただいて、お土産も買っていただければ、地元にお金も落ちますし。
都会に帰ってお土産を配りながら「遠征で行った高知、よかったわー」などと宣伝していただけたら、地元民も嬉しいです。
今回の記事のテーマは、
地方の県民ホールでの公演など、「本来の意味での全ツ会場の宝塚初見の客」にとって、
昭和のシバターワールドは、すんなり「いいね!」と思っていただけるのか問題。
昭和の時代、「フィレンツェに燃ゆ」初演は、
瑞々しい感性のきらめきが光る!これが、これからの新時代の演劇だ!
と評価され、芸術選奨新人賞を受賞したのでしょう。
私は「レトロ」と言えば「大正」を連想しますが、
今、渋谷でハロウィンではしゃぐ子たちにとっては、レトロと言えば
「平成レトロ」
え、お母さんの若いころ、スマホ無かったの?どうやって世の中回ってたの?
くらい、時代は変わった。スマホが無い時点で、平成初期も大正も「すっごい昔」。
まだ宝塚を知らない、たとえば広島とか愛媛とか熊本のバレエ少女に、全ツで宝塚に触れていただいて、宝塚を目指していただきたい!
でも、イマドキのバレエ少女に、柴田先生の作品を見て、
「いいね!」と思っていただけるのかなあ。
文学全集でも、昭和のいわゆる「翻訳調」の文体を、今の子供向けにリズムを重視した新訳にしている時代。
「だって、おとうさんは、いま、いらっしゃらないじゃないの。それに、いつお帰りになるかも、わからない」
とあるのを今回の新訳で
「お父さんはいま、いないじゃん。しかもしばらく会えそうにないし」
今の都会の子の話し方が「お父さんはいま、いないじゃん。しかもしばらく会えそうにないし」で、
地方の子供の話し方が「だって、おとうさんは、いま、いらっしゃらないじゃないの。それに、いつお帰りになるかも、わからない」
のままな訳ではない。
田舎の人だって、ネトフリの配信を1.5倍速で見ているんですよ。
何が言いたいかというと、柴田作品も、もう「演劇初心者向けの、わかりやすい大衆演劇」ではなくて、
時代の変化とともに古典化し、「演劇の見巧者向けの作品」化しているのでは?
「全ツだから、定番の柴田作品をそのまま再演」のままでは、「リアル地方民の宝塚初見者にとって優しい観劇体験」になるのか?
柴田作品も
Once upon a time in Takarazuka『霧深きエルベのほとり』
作/菊田 一夫
潤色・演出/上田 久美子
くらいの潤色をして今の方向けに翻訳しなければ、柴田先生が作品にこめた思いも伝わらない時代になってきたのかもしれない。
柴田作品もそろそろ、若手の演者と演出家の修行のための「バウ・ワークショップ」枠に移行する時期かなあ。
『HiGH&LOW』を全ツでやれとは言いませんが、
著作権が許せば、別箱でやっていたフレンチミュージカルを全ツに回したってよいのでは?