『蒼穹の昴』配信感想
政治とは、何か
個人的に、浅田次郎氏の原作『蒼穹の昴』のテーマは、同じく浅田氏原作の『壬生義士伝』と相通じるものがあると思っています。
『壬生義士伝』は、新選組隊士の吉村貫一郎が主人公。
吉村は厳しい気候と、藩の政治の失敗とがあいまって、貧困にさいなまれる南部地方盛岡藩を脱藩して、新選組に入隊。
ゼニの虫などと呼ばれながらも、近藤勇、土方歳三、斎藤一、沖田総司など新選組の名だたる隊士が一目おいた田舎侍・吉村と、
吉村の旧友であり、南部地方盛岡藩のエリートとなり、吉村に切腹を命じる大野次郎右衛門との対比を軸に物語を展開しています。
政治の失敗の犠牲者であり、逆境からのし上がるために、人斬りとか宦官とか、社会から蔑まれる仕事に身を投じてカネを手に入れる主人公と、
良き政治をなす責任を負っているが、改革に挫折し、主人公と立場が分かれていく幼馴染。
この対比を観客にわかってもらうためには、歴史的事実うんぬんより、
政治とは何か?様々な定義があると思いますが、
政治とは、英語で politics
古代ギリシアの都市国家であるポリスpolisから来た言葉で、
という構造を舞台で示すことができれば、とてもわかりやすい物語だと思うんです。
でも、実際の舞台では、政治の描写が
・楊喜楨先生と梁文秀たちが、長机で難しい抽象的なことを言う。
・李鴻章とか光緒帝が書類にハンコを押し続ける。
・光緒帝と西太后の前で、同じような服を着た官僚たちが口喧嘩。
抽象的な「総論」ばっかり。
うーん・・・国家のお仕事って、”ハンコを押すこと”ではないだろう。
”戊戌の政変”自体が、
科挙の改正、近代的学校の設立、不用官庁の廃合、軍備強化、徴兵制度実施、産業・交通振興、憲法制定、国会開設 etc.
宝塚の舞台では、総論ばっかりで、第2幕の具体的な政治的「エピソード」が、
西太后を殺してしまえ!
くらいなんですよね。
今回の舞台では、西太后を極悪非道の悪女として描いているわけでもなく、観客は「がんばれ順桂!西太后を殺してしまえ!」という心理に誘導されるわけでもない。
舞台では例えば、
科挙にトップで合格した梁文秀:科挙をやめて、学校を作ろう。
といった、何か具体的な改革の試みと失敗の「エピソード」を入れたほうが、観客の理解をスムーズに誘導できたのでは?