宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

あき竹城15歳167cm山形出身初めてー はあったのか?



あき竹城さん、ごめん、ちょっと想像して笑っちゃった



1947年、山形県米沢市出身。中学卒業後、ダンサーで10歳年上の姉を頼って、大阪へ。


宝塚歌劇に入団したかったが、習い事にお金がかかるため断念した。


大阪では手品師の内弟子になり、料理や掃除など師匠の身の回りの世話のほか、舞台のアシスタントを務めた。


あき竹城さん、映画「楢山節考」「男はつらいよ」シリーズのほか、「家なき子2」など多数の映画やテレビドラマに出演されていたのを覚えています。


管理人は西日本の人間なので、TVの地上波であなたがホンモノの山形弁であかるく話していらっしゃる響きが耳に新鮮で、大好きでした。


ついこの間も「秘密のケンミンSHOW」「炎の体育会TV」などバラエティーで、あなたの陽気な声をお聞きしたばかりのように思うのですが、闘病されていたのですね。



あき竹城さんは、幼少期にテレビで見た宝塚歌劇団にあこがれてモダンダンスを習い始めるも、高額なレッスン費用がネックとなり、宝塚入団はできなかったとのこと。


そうですか・・・60年以上前に、山形から、宝塚受験のためにダンサーの姉を頼って大阪まで出てくるほどのガッツがあった方だったのですね。


宝塚を受験されていたら・・・どうなっていたのでしょうね。167cmと大柄ですし、意外と専科で長くファンを楽しませてくれるおじいちゃんキャラになられたかも。



その後は日劇でダンサーとして生活し、日劇での東北弁のコントをやった際に、コントを観た今村昌平監督に映画「楢山節考」の出演依頼を受け女優デビューに繋がったそうです。



TVで堂々と方言をしゃべくる芸が、全国のお茶の間に受け入れられたのは、男性お笑いタレントでも、明石家さんまさんあたりがきっかけだったように思うのですが、


女優さんで方言を堂々と武器にしたのは、あき竹城さんがパイオニアだったのでは?


本当に、思い出すのは、元気なあき竹城さんのイメージばかりです。ご冥福をお祈り申し上げます。