宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

月組『フリューゲル』にメルケルさんが出てる


「フリューゲル」=つばさ


ミュージカル

『フリューゲル -君がくれた翼-』

作・演出/齋藤 吉正


冷戦下の東西対立により国が分断されていた1988年のドイツ。


社会主義国となった東ドイツの国家人民軍で広報を担当するヨナス・ハインリッヒは、西ドイツのポップスター、ナディア・シュナイダーを招聘したコンサートの責任者に任命される。


欧州各地で巻き起こった民主化の波は東ドイツにも押し寄せており、政府は国民の不満を解消する目的で首都東ベルリンでのコンサートを企画したのだった。


自由奔放なナディアの言動に振り回され、顔を合わす度に喧嘩を始めてしまうヨナス。


しかしリハーサルでナディアが歌う「フリューゲル」という曲を耳にした瞬間、その歌声に胸を打たれ、離れ離れとなった家族と過ごした幼い日々を思い起こす。


音楽を通じて初めて心を交わした二人・・・。


そんな二人をヨナスの大学時代の同期でもある秘密警察のヘルムート・ヴォルフが監視していた。


東西に隔てられた国で育った男女が、考え方の違いから最初は反発しながらも次第に惹かれ合っていく姿を、ベルリンの壁崩壊へと向かう激動のドイツを舞台に描くコミカルでハートウォーミングなミュージカル作品。



紅子:齋藤 吉正先生、大劇場で「東ドイツの音楽ネタ」キターーーーー!


ってか、今の若い方には、「壁崩壊」と聞けば「進撃の巨人ネタ?」だろうね・・・


管理人:ドイツはかつて、資本主義陣営の西ドイツと、共産主義陣営の東ドイツに別れていたんだけど、


現在のドイツの首都ベルリンは、地理的には東ドイツの中にあって、


そのベルリン市内が、東ベルリンと西ベルリンに別れていた。


西ベルリンは、コンクリート製で高さ3メートル強の総延長155キロメートルの壁で囲まれていて、本当に「陸の孤島」だったの。


紅子:西ベルリンまさに『進撃の巨人』状態じゃん。



東西ドイツ分断の時代につくられた、旧西ベルリンを囲む壁。


旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都であった東ベルリンから西ベルリンへの住民の流出を防ぐため、東ドイツ政府が1961年8月、アメリカ、イギリス、フランスが共同統治する西ベルリンを有刺鉄線等で物理的に封鎖。


その後、1975年にはコンクリート製で高さ3メートル強の総延長155キロメートルの壁が完成した。


東西陣営分断の象徴として、「ベルリンの壁」ということばが幅広く使われた。


西ベルリンは東側における陸の孤島と化していたが、アメリカをはじめとする西側諸国の支援により、市民は豊かな生活を謳歌(おうか)することができた。


壁を乗り越えて西へ逃げた東ドイツ市民は約5000人に上るが、約200人が国境警備兵の銃撃や地雷などで死亡したとされる。



紅子:そんな東ベルリンで、みんなどんな曲を聞いていたの


管理人:ほれ。




Bruckner: Symphony No 9 / Jochum Berlin Live ブルックナー: 交響曲第9番 ヨッフム ベルリンライブ



紅子:まあ、そりゃあ、そうだろうけど!クラシックばかりじゃ飽きるでしょ!


管理人:基本、



Jugend erwach! "Bau auf, bau auf" [HQ audio]


良い子のみんな、「FDJ:自由ドイツ青年団」に入ろう!ソング



紅子:うはあ・・・


こんな灰色の空気の東ドイツで、メルケルさんの脳裏に鮮烈な色彩として残っている青春ソングがあってね。



東ドイツのヒット曲「カラーフィルムを忘れたのね」

メルケル独首相、退任式に青春時代のヒット曲を選ぶ




ニナ・ハーゲンの曲は1974年の「カラーフィルムを忘れたのね」


恋人がカメラにカラーフィルムを入れるのを忘れたため、旅行の記念写真が白黒になってしまったと怒る若い女性の、アップテンポの曲は、当時の東ドイツの物不足の状況を描いたとされる。


多くの東独出身者には、「この国がどれほど美しかったか誰も信じてくれない」という歌詞が、特に印象に深く残っているという。


式典前の記者会見でこの曲を選んだ理由を質問されたメルケル氏は、「この曲は青春時代のハイライトだった」と答えた。


さらに、「自分の選挙区だった地域が曲の舞台になっている」ため、「すべてがぴったりはまる」のだと説明した。


紅子:恋人に「カラーフィルムを忘れたのね!思い出が全部モノクロじゃない!」と怒る歌詞が、灰色の東ドイツへの精一杯の皮肉だったのね・・・


管理人:ちなみに、歌っているニナ・ハーゲンさんは、



Nina Hagen - Naturträne • TopPop


紅子:オペラちっくならいいのか・・・東ドイツで、よくぞこのスタイルでヒットしたわね・・・


管理人:さすがにその後、亡命したそうよ。


東ドイツの若者にも、青春があり、パンクソングがあった。


そんな下地があって、


なんと1987年には、デヴィット・ボウイがベルリンの壁近くで野外コンサートを実施。


スピーカーの一部はこっそり東側に向けられ、「音漏れコンサート」に耳をすませていた若者は熱狂!



「ロックが壊したベルリンの壁」


初回放送日: 2020年4月7日


1989年11月、ベルリンの壁崩壊。


その2年前、壁の近くで野外コンサートを行ったデヴィッド・ボウイ。


スピーカーの一部を壁の向こう側に向けると、東側は大騒動に!


これがきっかけで翌年には、音楽が規制されていた旧東ドイツでも異例のコンサートが行われる。


歌ったのはブルース・スプリングスティーン。会場には若者たちが殺到!


デヴィッド・ボウイ、壁の向こうには銃を持った東ドイツの警官がいるのに、『Heroes』という曲では


And the guns, shot above our heads (over our heads)

銃弾が 僕たちの頭の上を飛び交って


And we kissed, as though nothing could fall (nothing could fall)

そして僕らはキスをした 何者にも倒せないというふうに


And the shame, was on the other side

恥はぼくらじゃない。あいつらだ




David Bowie - Heroes (Official Video)


と歌ったそうです。


紅子:骨のある方だったのね・・・


管理人:このボウイの衝撃の翌年、1988年の東ベルリンで、いったいどんなコミカルでハートウォーミングなミュージカル作品になるのかしら?