宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

原田諒氏の演出について文春報道で妙に納得したこと







劇団からも公式にコメントが出ましたので、文春で報道されていることが事実無根ではないのでしょう。


すでに加害者側は、劇団及び阪急電鉄グループを退団したということで、劇団には被害に遭われた方々への真摯なケアを願います。



週刊文春で報道された記事を拝読してから、原田氏の宝塚歌劇団での最後の仕事となった『蒼穹の昴』を振り返ると、


皮肉にも、観劇時に「?」と思っていた、



・舞台の上で、西太后を慈愛溢れる母として描き、彼女の残酷な面は描写しない


・なのに順桂は「西太后を殺す!」ばかり言う


・謎のアヘン窟のシーン


(和希さんによると「阿片窟のシーンは、順桂の理想や意志を、阿片窟の女たちが邪魔して、順桂を堕とそうとしている」とのこと)


・娘役には、理知的なセリフがほとんどない(ほぼモブの「かしづく女官たち」ミセス・チャンの人物像のつまらなさ)。




このあたりの演出の謎が、原田氏の劇団での言動からうかがえる


ミソジニー(女性嫌悪)的傾向から来たものなのでは?と思うと、腑に落ちたのです。


(セクハラの被害者の方が、女性か男性かは存じません)



ミソジニーとは、「ひれふせ、女たち」という著書によると



・女は男性に気遣い、ケア、共感、優しい言葉かけをしなければならない。


・ミソジニーは女性に対する男性の敵意や憎悪ではない。男性の支配にあらがう女性をコントロールし、罰すること。


 ・ミソジニーは、家父長制をサポートし強化する女性に報酬を与え、そうでない女性を罰する。



といった考え方のこと。


ヒロインは、「男性に意見せず、気遣い、ケア、共感、優しい言葉かけをする女性」そのものだし、


原作では知的でミステリアスで、もっともっと複雑で美味しいキャラになりそうなミセス・チャンは、急に「おばあちゃーん!」で「アンタ誰」だし、


西太后は慈愛溢れる母として描き、彼女の残酷な面は描写しないし、


他の娘役はほぼ「かしづく女官たち」で、物語の上で意味のあるセリフを言う娘役はほぼ皆無。


本作だけでなく、原田氏のオリジナル作全体に「ものを言う女は嫌いだ」感があって、ヒロインはなおざりで、男女対等な恋愛より、男同士の「絆」を書く傾向を感じておりました。


(西太后はある意味「宮中でただ一人の男」枠なんでしょう)



『蒼穹の昴』における、原田氏の分身キャラは、


「ひれふさない女、西太后は、くたばれ。」


の順桂だったのかもしれない、と思いました。