宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

なぜだろう風色バウのペテン師ヒロインは天彩の予感





横濱RHAPSODY

『MY BLUE HEAVEN -わたしのあおぞら-』

作・演出/齋藤 吉正


終戦間もない横濱。空襲により焼け野原となったその地では失くした時、失くした者達を振り返り悲嘆に暮れる暇もないほど人々はその日その日を逞しく懸命に生きていた。


トタン屋根の仮住まいに、様々な店が軒を連ね、闇市が賑わいを見せる港からほど近い町に立つ娘の名はヤヨイ。


彼女はその知恵と美貌で男達から金目のものを巻き上げるペテン師。何不自由ない少女時代を優しい両親から一身の寵愛を受け育った彼女は戦争にその両親と青春を奪われた。


そこに現れる懐かしい人影が・・・。口笛で飄々と流行歌♬MY BLUE HEAVEN♬を奏でる彼の名は天地楽(あまちがく)。“ジョーイ”と呼ばれるその青年は南方戦線から生還した復員兵だった。


子供の頃毎日のように遊んだ幼馴染との再会。殺伐とした日々に夢や希望を忘れかけていたヤヨイは吐き捨てた。


「この世界、どこに天国があるのよ!」


ジョーイは笑顔で答えた。


「一緒に天国を探しに行かないか!」


二人は“ジョーイ”が育った教会で戦争孤児と暮らす事となる。やがて本当の笑顔を取り戻していくヤヨイに新たな夢が芽生え出す。


そんなヤヨイと子供達を守るために危険な裏稼業の深みにはまっていく“ジョーイ”・・・。


戦争で体に、心まで傷を負った人々が澄み渡る青空に平和の夢を馳せ、愛と夢と希望を求めて力強く歩みだしていく様を描く、心温まる物語。   


風の色は青い天国の色



紅子:赤いリンゴにくちびる寄せて♪ だまって見ている青い空♬


管理人:リンゴは何にも言わないけれど 


サイトー先生の 気持ちは よーく


・・・


・・・



わからん。


紅子:え、宝塚で空襲により焼け野原となった横濱!トタン屋根のバラック小屋?闇市?


南方戦線から生還した復員兵?


管理人:吉永小百合が10代の頃に出演していた、文部省推薦映画のかほりがするわね・・・



キューポラのある街


♬MY BLUE HEAVEN♬

2017 My Blue Heaven SANT ANDREU JAZZ BAND ( JOANA CASANOVA) & FREDRIK NORÉN ( Dr. Joan Chamorro)


紅子:そもそも、


♬MY BLUE HEAVEN♬


って、


♬わたしのあおぞら♬


とはニュアンスが違うよね?


管理人:『私の青空』は、アメリカの大ヒット曲『My Blue Heaven』(マイ・ブルー・ヘブン)を原曲とする、昭和初期の日本の歌謡曲です。


宝塚がモン・パリ初演に沸いた翌年の昭和3年(1928年)9月に、レコード発売されました。


訳詞は、昭和の歌謡界の大物であった堀内敬三氏。


彼は原曲の歌詞の芯をとらえつつも、日本語としてインパクトがあって歌いやすい歌詞をつけるのが得意で、


ドボルザークの曲に歌詞を付けた「遠き山に日は落ちて」


元はブロードウェイミュージカルナンバー「蒲田行進曲」


などの仕事が有名です。


紅子:まじで!元々日本人が作った曲だと思ってたわ。


管理人:原曲は仕事帰りの男が、妻と赤ちゃんが待つ我が家に急ぐ情景を歌っているのですが、


”We’re happy in my Blue Heaven ♪”


の翻訳には悩んだそうです。


紅子:そうねえ。そのままだと、妻と子は天国でほほ笑んでいるようなニュアンスがあるわね。


管理人:そこを


「せまいながらも 楽しい我家♬ 恋しい家こそ 私の青空♪」


と大胆に意訳したところに、この歌のヒットのキモがあったのですが、


サイトー先生は『私の青空』の本来の意味の”my Blue Heaven”にこだわって


「この世界、どこに天国があるのよ!」


「一緒に天国を探しに行かないか!」


紅子:サイトー先生、昭和の終わりを舞台にした『シテイハンター』ベルリンの壁もの「フリューゲル」に続いて、昭和3部作にするつもり?