宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

愛するには短すぎる 感想



モラトリアムの終わり


2011年に中日劇場で上演された際の公演情報から、あらすじを引用させていただきます。




資産家の養子であるフレッドは、義父の跡を継ぐため、留学先のロンドンからニューヨークに戻る船旅に出ていた。


フレッドは、バンドのショーチームのメンバーであるバーバラという女性と知り合い話をするうち、彼女が幼い頃、結婚の約束をした女の子であることに気付く。


フレッドは、このまま与えられた社長の椅子に座り、婚約者ナンシーと結婚してもいいものか、約束された未来に漠然とした不安を覚える。


そんなフレッドに対して、劇作家としての成功を確信する友人のアンソニー。


様々な人を乗せて、船はニューヨーク目指して進んでいく……。


このお話の原案は、阪急電鉄創業家の入り婿となり、同社の社長、会長、相談役を務めた小林 公平氏によるもの。


脚本・演出は、宝塚歌劇団の正塚 晴彦氏。 


資産家の養子となり家業を継ぐ決意をしたフレッドと、劇作家としての成功を確信する友人のアンソニーの関係にそっくりのお話ですね。



フレッドはアメリカに着けば、婚約者と結婚して、養父の事業を継いで、社長の椅子も約束されている。


青春モラトリアム、最後の4日間。


約束された未来に漠然とした不安を覚えた時、偶然幼馴染と再会するが…




初演当時、宝塚大劇場に遠征して観劇した記憶があります。


生真面目で、金はあるのに、ここぞというところで生き金を使うのに躊躇するフレッドと、


しれっと借金をしてでも、リスクをとってでも、金のチカラの生かしどころには躊躇しないアンソニーのキャラ対比が面白かったです。


初演を見た時には、ヒロインのバーバラが


「あなたが私の本心を見抜いてくれるまで隠しているから、察して、ね💛」


な昭和の娘役で、フレッドとは船を降りるまでプラトニックな関係なのね…と思ったのですが、


夢白あやが演じると、3日目の夜と4日目の朝の態度の変化に含みがあって、私はこの解釈好きですよ(笑)


この、フレッドにとっての「忘れえぬ女」になるための演出力!女はみんな、人生において女優よねえ。



久々に本作を再見して、


このお話が、なぜ全国ツアー公演の定番として愛されているのか?が自分なりに腑に落ちました。


もしも、宝塚の常連ファンが


「宝塚ファンは、なぜ宝塚の舞台公演を見るのか?」


と聞かれたら、どう答えます?


宝塚ファンにとって舞台を見るのは、息をしたりご飯を食べることと同じ。まあ、TVドラマや映画を見ることと同じ「気楽な娯楽」。


でも、本当の意味での全国ツアーの会場、たとえば、香川県県民ホールの宝塚公演を見にいく地元の客は、シアタードラマシティの客層とはまた違います。


「舞台を見る」こと自体がレアな地方民にとって、観劇とは、夏休みに小学生が読書感想文を書くために、普段読まない小説に「トライする」ほどの気概で挑む体験なのです。


で、舞台を見たからには、そのレアな体験を意味付けしたいのですよ。観劇感想文を考えたくなるのですよ。



読書感想文って「この本が、面白かったです。」だけで終わらせたら、先生に褒められないじゃないですか。


「自分も、この本の主人公と同じ体験をしたことがあります。」


とか


「この本を読んで、自分が変わりました。」


とか書かなきゃ、みたいなプレッシャーがありません?



普段の宝塚の公演は、革命やら不倫やら、「自分も、この舞台の主人公と同じ体験をしたことがあります」と言いづらいテーマだらけですし、


いい歳をして、舞台を見るたびに、いちいち自分が変わるわけもなし。



でも、「愛するには短すぎる」のテーマは、誰にでも経験がある


「モラトリアムの終わり」


社会の中における、自分の立ち位置や存在意義を見出して、「自分の納得」の付け方を見つけ出すお話。


大学を卒業後も、30歳を過ぎ、定年を過ぎたって、


「愛するには短すぎる」は誰しも


「自分も、この本の主人公と同じ体験をしたことがあります。」


と言える、普遍的な課題図書かもしれない。