宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

真彩 人生最後のクリスティーヌ『ファントム』配信感想



舞台芸術の歴史のうえで、真彩希帆がクリスティーヌ・ダーエ役を演じた最後の日の公演を、配信で見守らせていただきました。




ミュージカル『ファントム』ライブ配信決定‼ 舞台映像PV


9月10日(日)12:30公演


ファントム(エリック):城田 優 

クリスティーヌ・ダーエ:真彩希帆

フィリップ・シャンドン伯爵:大野拓朗 

カルロッタ:石田ニコル

アラン・ショレ:加治将樹 

ジャン・クロード:中村 翼 

文化大臣:加藤 将 

ルドゥ警部:西郷 豊

少年エリック:井伊 巧 

ゲラール・キャリエール:岡田浩暉


感想:初めて『ファントム』に泣いた

ヒロインのクリスティーヌ・ダーエ役を演じる予定だったsaraさんが、体調不良のため『ファントム』大阪・東京の全公演を休演することが初演当日の7月22日に発表され、


ヒロインは真彩希帆が大阪、東京の約50公演をシングルキャストで演じることとなりました。





ファントム(エリック):城田 優 


宝塚版と今回の公演の一番の違いは、エリックの母ベラドーヴァを、クリスティーヌ役が1人2役で演じること。


宝塚では、海外ミュージカルは役が少ないので、本来なら組長や専科のベテランが演じるようなエリックの父ゲラール・キャリエールや、カルロッタのパートナーの支配人アラン・ショレを路線男役が演じたのですが、


今回はキャリエールやアラン・ショレは、役の本来の年齢に近い俳優が演じています。


個人的に、宝塚版『ファントム』を見て泣いたことは一度も無いのですが、今回は泣いてしまいました。


宝塚って、基本「登場人物は全員、美男美女」設定ですし、実際綺麗な人ばかりじゃないですか。


路線スターなんて、おじさん役を演じていても、キラッキラオーラがにじみ出ているじゃないですか。


そんな宝塚で、主人公が「容貌ゆえ差別され、身内からも社会からも疎外される」設定のお芝居を見ても、どうにも脳が物語世界をしっくり受け付けなかったのです。



今回の上演で、怪人を演じる城田 優が190cmの長身を屈めて、小学校低学年の男の子のような無垢と残酷を表現しているのを見ると、その異形の恐るべき子どもの実在性の説得力が凄まじかったです。


亡き母を恋い慕い慟哭し、クリスティーヌに母の面影を重ね、美しい蝶を捕まえて愛でるような無垢な眼で見つめる。


自分のテリトリーを犯す者、クリスティーヌに危害を加える者は、バッタの脚をもぎ、カエルを踏み潰す幼子のように、ためらいなく殺す。


生まれた時から、「お前は生まれてはいけなかった子」とオペラ座の地下の暗がりに隠され、


朝、目覚めたら「気持ちがいい朝だな」、
部屋のカーテンを明けて朝日を浴びて「暖かい日差しだな」、
朝ごはんを食べたら「ああ、美味しいな」、
外に出たら「風が心地いいな」


彼の人生で、そんな朝の記憶は、母が亡くなった後、一日も無かった。


母亡きあとは、ほぼ唯一の社会との接点である実の父親にすら「親戚のおじさんです」という距離感で対応され、学校にも通えていない。他人と心を通わせて笑ったことが無い。


ファントム(エリック)は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうちで、外の太陽も、風も、食卓のあたたかさも知らず、他人だけでなく自分自身からも切り離されて生きてきた。


暗闇の中でただ天上の音楽に耳を澄ませることが、生きる喜びであった。


彼は過ちの多い人生を歩むことになりましたが、クリスティーヌと、音楽という共通言語を通じて語り合い、自分を取り戻した瞬間があったことを祝福したい思いになりました。



クリスティーヌ・ダーエ:真彩希帆


本人はラストのあいさつで


「正直、声帯が厳しい日もあったけれど、舞台に立つと声が出たんです。」


とおっしゃっていたのですが、千秋楽公演の歌唱は、1曲の中で音の当て方、動かし方、声の種類、音色、声帯を完璧に演出して感情を巧みに表現し、素晴らしかったです。



宝塚版では、「宝塚の娘役」としての制約もあったでしょうし、まだ10代の少女にとって、歌の先生だと思っていた人が、実は悲惨な養育歴で、母の愛に飢えていて、君に母の面影を重ねていて…と言われても荷が重すぎるでしょう。


でも自分から「仮面を取って」と言って、素顔を見て「きゃあああ」の展開はどうよ…と思い、感情移入しづらいヒロインでした。


今回の演出では、クリスティーヌがエリックの母ベラドーヴァ役を演じたことで、特に第2幕のエリックとクリスティーヌの関係性の見え方も変わりました。


エリックの成育歴を知り、地下の舞台セットでのピクニックの後、「仮面を取って、真の心を見せて」と歌うシーンは、医師国家試験に合格したばかりの精神科の研修医が、初めて担当として受け持った患者に対して向き合うようで、


結局、仮面を取ったエリックを見て逃げ出してしまうのですが…


容貌に驚愕して逃げた、というニュアンスは無くて、


「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」


エリックの精神の深い淵に気づいた恐怖から逃げ出してしまったのだろうなあ、と思いました。人間、急に聖母にはなれないよね。


ラスト、左わき腹を撃たれ瀕死のエリックを抱いた時のクリスティーヌは、バチカンで見たピエタ(死んで十字架から降ろされたキリストを抱く聖母像)の慈愛すら感じました。




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