『ME AND MY GIRL』感想
星組博多座公演『ME AND MY GIRL』暁ビル、水美ジョン卿バージョンを配信で視聴しました。
あらすじ
舞台は1937年ごろのロンドン。下町で育った青年ウイリアム(ビル 暁)は、実は名門貴族ヘアフォード伯爵家の世継ぎだと判明する。
ビルを伯爵家の世継ぎにふさわしい紳士にするため、マリア公爵夫人( 小桜)による厳しい「お婿さん教育」が開始される。
ビルと貴族たちは、文化や価値観の違いから対立したり、下町の恋人サリー(舞空)が「自分は伯爵家にふさわしくない」と思い悩んで家出したりの、大騒動が巻き起こる。
ビルは一人前の紳士に成長し、階級意識に凝り固まった貴族たちの心をも動かしてゆく。そしてサリーは…
タップダンスの衝撃
ああ、やっぱり宝塚っていいな。
個人的には、遠い外国の遠い文化のお話を、なじみのジェンヌさんが演じてくれるおかげで、自分事として楽しめるのが楽しいのです。
『ME AND MY GIRL』は、おとぎ話のロマンティックコメディとして気楽に楽しめるし、
イギリスの厳格な階級社会が戦争により揺らぎ始めた時代を背景にした、文化格差や階級闘争の要素もあり、興味深かったです。
本作で多用される「タップダンス」は、アイルランドからの移民と黒人奴隷の子孫らの文化が融合して生まれた労働者階級の文化で、
『ME AND MY GIRL』の頃には、一昔前のヒップホップ的な「上品な上流階級にはなじまない文化」でした。
そんなタップダンスを、由緒正しい名門貴族ヘアフォード伯爵家のご先祖たちの幽霊が楽しそうに踊るシーンは、大河ドラマで殿さまにヒップホップを踊らせるような、なかなかぶっとんだ演出だったのでは?
本作では、マリア公爵夫人( 小桜)がビルに礼儀作法を教えるために四苦八苦するてんやわんやが、面白さのキモになっています。
有名なミュージカル『マイ・フェア・レディ』は、男性である「ヒギンズ教授」が、下町の花売り娘イライザを淑女に変身させる物語なので、ちょうど反対ですね。
(『マイ・フェア・レディ』の初演は1956年ですが、原作のジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』は1913年の発表ですので、『ME AND MY GIRL』では意識的に「ヒギンズ教授」がサリーを一人前のレディにした、という設定になってるのでしょうか。)
”ME”&” MY GIRL”というタイトルの意味
暁演じるビルは、言葉遣いが荒い頃から”ほわん”としていてガラの悪さは皆無。ジャッキー(極美)のお色気攻撃にも耐え、図書室でのご先祖紹介でも
「ね、ね、俺のご先祖、学校で習った人ばっかりだったぜ。すごくね?」
と無邪気に自慢している感があって、サリーの言うところの
「あんたも「あっち側」の人間になったのね。ふん。」
という指摘にうろたえるシーンも可愛い。
いいところのボンボンが、ちょっとグレてやんちゃしていたけど、オトンが亡くなって実家に帰って、オカンから家業をスパルタ教育で叩き込まれて口ごたえしているような印象で、見ていて楽しかったです。
マリア公爵夫人( 小桜)は、独身を通しているのか、夫と死別しているのかはわかりませんが、おそらく子供がいないのでしょう。
アイデンティティが、個人よりも「家」と「階級」にがっちりと縛られていたマリアが、母親を知らないビルへのお行儀教育を通じて、疑似親子のような関係になる。
ビルの、
”階級なんて関係ねえ、俺(”ME”)と、俺の彼女(” MY GIRL”)との愛が一番大事なんだ!”
という揺るぎない姿勢に、自身が30年にわたって着込んできた鎧の鎖がゆらぎ、ジョン卿の想いがすっと入ってくる心理の流れがスムーズに伝わってきました。
サリー(舞空)は、魚市場の魚の脂の匂いがする女の子でした。私はランベスに行ったことがないのですが、日本で言う江戸の「下町っ子」とか大阪の「じゃりン子」とかいう言葉が表すような、情が深くてきっぷのいい「ランベスっ子」の気質ってこんな感じなのかな、という納得感がある。
図書室でビルと「え、ジャンヌダルクって、モーセと結婚してなかったっけ?」と謎会話をしているのが、「わざとおばかな女の子の演技をしている」というか「本当に歴史とか興味ない」子に見える思い切った役づくりも印象的です。
これまで数々演じた淑女や貴婦人にくらべても、一番リアリティがあって、当たり役なのでは。
ジョン・トレメイン卿(水美)は、30年以上マリアに片思いをしている、おとぎ話のイケオジ。立ち居振る舞いは生粋のイギリス紳士で、下町の恋人たちへのまなざしが優しい。普段は抑制しているけれど、下町の娼婦に声をかけられた時に一瞬こぼれた、生っぽいけれど生臭くない色気が、宝塚の男役が演じる良さだなあ。