宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『My Last Joke-虚構に生きる-』正直感想


エドガー・アラン・ポー原作『アッシャー家の崩壊』にも”大鴉(おおがらす)”が!



『アッシャー家の崩壊』予告編 - Netflix



バウ・ゴシック・ロマンス

『My Last Joke-虚構に生きる-』

作・演出/竹田 悠一郎   


抒情溢れる詩や短編小説により、後世の作家たちに多大な影響を与えたエドガー・アラン・ポー。1809年アメリカ、ボストンに生まれ、数多の詩や短編小説を書き続け、生活のため時に雑誌編集者ともなった彼が、作家として本当に描きたかったもの、人生で追い求めようとしたものは何なのか……。

彼の作品に残る言葉の数々、彼の妻となるヴァージニア、彼の人生や作品に関わる作家や編集者たちとの関係を軸に、自らの運命を自覚した上で、その運命に挑み続けた人生を鮮やかに描き出す。      

宝塚ファンが求めるのは「週刊文春」か「文芸春秋社 作家の肖像と作品~エドガー・アラン・ポー編~」か?


今月の文春砲




読者とは、文春砲といえども、


「知らないジャンルで、知らない人同士が炎上している」


記事を読んでも


「知らんがな」


という生き物です。


作・演出の竹田 悠一郎先生は、2021年、イングランドのばら戦争を題材にした花組『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』(バウホール)で演出家デビュー。


管理人は『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』を映像で拝見しましたが、題材の選び方が


日本のことを全く知らないイギリス人の観客に、「応仁の乱とは何だったのか」という歴史的解釈の変遷についての講義をする


ことに失敗したような作品でした。(日本の歴史ファンでも、戦国時代や幕末では無く、応仁の乱ネタで話が弾む人ってレアでしょう。)




今回上演された星組『My Last Joke-虚構に生きる-』(バウホール)は、19世紀アメリカ文学を代表する作家の一人であり、「常にトート閣下にキスされる5秒前」のような緊張感漲る、死と破滅のイメージに満ちた作風で知られるエドガー・アラン・ポーの人生についての物語です。


エドガーは推理小説,ホラー小説の元祖と称されるほどの才能に恵まれながらも、歯に衣着せぬ(というか歯に衣を着せられない)発言で敵が多く、


身内に相次いで早世され、最期はアルコール中毒により不幸な死をとげました。



本作は若き日のエドガーの、妻となるヴァージニア・クレム( 詩ちづる)や才能ある女性詩人フランシス・S・オズグッド (瑠璃花夏)との出会いと交際、同時代の編集者や作家たちとの対立を軸に、


彼の代表作である


・若い男が愛する人の死に打ちひしがれているところに、「Nevermore(二度とない)」という言葉を繰り返すカラスが現れて、男の精神をむしばんでゆく『大鴉』


・ペストの流行を恐れて城内に閉じこもる王子が仮装舞踏会を催すと、死の装束をした人物が現れ、実はそれがペストで、城内のすべての者が死んでゆく『赤死病の仮面』


・美女の死と再生をテーマとする幻想的物語『リジイア』


・ポーの死を伝える追悼記事に掲載された、先立った妻への哀歌『アナベル・リー』


といった作品のイメージを織り交ぜた、伝奇的な伝記でした。


個人的には、休日の昼下がりにTVで


「NHKドキュメンタリー 作家の肖像と作品シリーズ エドガー・アラン・ポー編」


といった教養番組を見たと思えば、再現VTRも凝っていて、なかなか見ごたえのある作品だったと思います。


でも、エドガーの母国アメリカはいざ知らず、この作品が上演されているのは、日本の宝塚バウホール。


観客は、「エドガー・アラン・ポー」のファンではなくて、「タカラジェンヌ」のファンです。



宝塚ファンとしての私は、宝塚では『ME AND MY GIRL』のような、


主人公とヒロインは、くっつくのか、くっつかないのか、どっちだ?


にやきもきしたいのです。


主人公エドガーは、自分を兄のように慕う幼馴染のヒロインと、親の反対はあったもののすんなり結婚する(史実では結婚当時ポーは27歳、ヴァージニアは13歳)。


エドガーは結婚後、文芸批評の世界で、今なら「SNS炎上?上等だ!」な論陣を張ることに情熱を注ぐ。


エドガーが


「詩人ワーズワースの作品は、顔が良いから過剰に評価されている!」


と鋭く突っ込んでも、ワーズワースの作品も肖像も知らない人には「?」でしょう。


若妻ヴァージニアのことは女流詩人フランシス・S・オズグッド(瑠璃花夏)に任せているうちに、ヴァージニアとフランシスに女性同士の連帯が生まれ…


作品のテーマが「文芸批評論」「作家の孤独」に偏っていて、主役とヒロインと娘2の関係は、


「プラトニックな関係でした」


・・・


私は、宝塚で主役とヒロインと娘2の「プラトニック」を見たいわけでもないのです。


竹田 悠一郎先生は、「自分が興味のある対象は、宝塚ファンも興味があって、予備知識をもっているはず」と思っている傾向がありませんか?


  
まとめ:竹田 悠一郎先生は、もっと「週刊文春」を読んだ方がいいと思う。