あの会見後にフリューゲルを見た正直な感想
「壁の向こうの懲りない面々」
『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色(ばんかきょうひゃくげしき)』の東京宝塚劇場千秋楽の千秋楽を視聴いたしました。
『フリューゲル~』は、冷戦下の東西対立により国が分断されていた1988年のドイツを舞台に、
社会主義国となった東ドイツの国家人民軍で広報を担当するヨナス・ハインリッヒと、資本主義陣営である西ドイツのポップスター、ナディア・シュナイダー。
東西に隔てられた国で育った男女が、考え方の違いから最初は反発しながらも次第に惹かれ合っていく姿を、ベルリンの壁崩壊へと向かう激動のドイツを舞台に描くコミカルでハートウォーミングなミュージカル作品です。
管理人は『フリューゲル~』『万華鏡百景色』を、宝塚大劇場で開幕して間もない、酷暑のさなかに観劇しています。
その頃宝塚界隈は、久しぶりに開催されるタカスペや、来たる劇団創設110周年を祝うイベントを待ちわびるソワソワに溢れていました。
私は、この物語を初見では、東か西かどちらかと言えば、西ドイツのポップスター、ナディア・シュナイダー側の視線から、旧態依然として保守的な東側を
「壁の向こうの人たち」
として見ていました。
その後、悲しい事件があり、寂しい秋風が心に吹きすさぶような会見を見てから『フリューゲル~』を観劇することとなりました。
ベルリンの壁のセットを見るたびに、報道ニュースに映る、10月1日から閉じられたままの宝塚大劇場の正門を思い出してしまいました。
今度の観劇では、ヨナスを監視し平和コンサートの妨害のためにナディア・シュナイダーの爆殺もいとわず、壁崩壊後は社会主義の殉教者となった秘密警察のヘルムート・ヴォルフがどうにも心にひっかかってしまいました。
もう、2023年8月の頃と同じ自分では無いのだな。
私は、西側から「壁の向こうの」東側を見ていると思っていた。
世間は、宝塚ファンを続ける私を「壁の向こうの東側の人」として見るのだろう。
私は、ブログ村やSNSにつぶやかれる「宝塚ファン」の論調は、決して宝塚教の原理主義者ばかりでも、一面のお花畑でもないと思っています。
週末にまとめ見したワイドショーでは、宝塚歌劇団と、劇場や配信で宝塚の舞台を楽しんでいるファンをひっくるめて、
「壁の向こうの懲りない面々」
的な論調で報じています。
宝塚歌劇団に課金して配信を見ている時点で、私は今、「壁の向こうの東側の人」にカテゴライズされている。
『フリューゲル~』は、人間を「壁の向こうの人」「共産主義者」「資本主義者」というワードで簡単にカテゴライズして思考停止する相手に
Nein!(ナイン!)(日本語:いいえ、ノー)
と言う劇なのだと思います。
こんなオリジナル作品を世に発表できる劇団なのです。
私は、宝塚歌劇団は、「伝統」という言葉に思考停止せずに、変わっていける劇団だと思います。
宝塚ファンは、宝塚歌劇団の歴史上において、いや日本の芸能史において、ドイツ史における「ベルリンの壁崩壊」並みの大事件、転換点にリアルタイムで立ち会っています。
私は、この歴史的事件に立ち会っている「壁の向こうの」ファンとして、その時々に何を感じたかを言語化し発表することを続けたいと思います。
劇団や世間に対して
Nein!(ナイン!)
と言いたい時は発信します。それが、今まで楽しませてもらった劇団への、わたしなりの恩義だと思っています。