正直感想『Le Grand Escalier-ル・グラン・エスカリエ-』
宙組宝塚大劇場公演『Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-』の大千秋楽を配信で視聴いたしました。
(管理人は、宙組で起こった例の問題については、阪急阪神ホールディングスの株主総会に参加して、経営陣から株主への謝罪の場に立ち合ったこともあり、生徒から客への謝罪について指摘することはいたしません。)
宝塚の普段の公演は「芝居とショーの2本立て」や「長めのお芝居と、フィナーレ」という形式です。
「宝塚はつまらない芝居はやめて、ショーだけの公演をしたらいいのに」と思う方もいるでしょうが、
「いきなりショーだけを見て、幕が降りて、帰る」というのも、どうにも不完全燃焼ですね。
やっぱり、多少退屈だろうが、演者が「ストーリー」の中で「キャラクター」として生きている姿にハラハラドキドキして、
それから「あのお芝居で〇〇役だった人がスターとして歌ってる!踊ってる!」という感情移入の段取りが、ショーをより面白く見せるのでしょう。
『Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-』の映像にただよう「何か」。
普通によくできた宝塚のショー作品なんですけれど、なんと言うか…「生身」というより、感情移入の壁になる「生成」感があるんですよ。
「AIに、ベートーヴェンが生前完成させることがなかった幻の「交響曲第10番」を生成させた曲」とか、
「AIが描いた手塚治虫のブラック・ジャックの新作」に漂う不思議さに通じるものがあると申しますか...
ショウ・マスト・ゴー・オン。
幕をあげると決めたなら、お客様の前では、心に鎧を着て、笑顔の仮面を被ってでも、エンターテインメントに徹するのがプロだとわかっています。
でも。
センターに立つ芹香斗亜が、AIに「あの事件が起きる直前の2023年9月29日の芹香斗亜」を学習させて、さらにAIに「2024年8月25日の芹香斗亜」を生成させ、
本人が「AIに生成させた自分」をトレースしているのを見るような、見ていてどうにも遠い、もどかしい感覚がありました。
見えないはずの、仮面と鎧を感じて。
他のほとんどのジェンヌたちは、「あの事件があっての、2024年8月25日の自分自身」を見せてくれていたように思うのですけれども。
「あの事件があっての、2024年8月25日の芹香斗亜」を拝見したかったのが、正直な感想です。
次回、通常の「お芝居」と「ショー」の体制に戻って、また彼女がスターとしての感情表現を発揮できることを期待しています。