『ベアタ・ベアトリクス』感想
『ベアタ・ベアトリクス』
作・演出/熊倉 飛鳥
19世紀半ば、イギリス。ロイヤル・アカデミーの画学生ロセッティは、アカデミーで神童と呼ばれるエヴァレット、同級生のウィルと共に、それまでの古い美術観を打ち破るべく、プレ・ラファエライト・ブラザーフッド(前ラファエル兄弟団)を名乗り創作活動を始める。
詩人のダンテを崇拝し、その著書「新生」に登場する理想の女性“ベアトリーチェ”を求めるロセッティは、帽子屋で働く娘リジーと恋に落ち、彼女の姿を描き始める。
彼らの活動はアカデミーの反発を受けながらも軌道に乗り始めるが、エヴァレットがリジーをモデルに描いた傑作「オフィーリア」によって歯車が狂い出す。
リジーこそが自分にとっての“ベアトリーチェ”だと信じていたロセッティだったが、圧倒的な画力で彼女の姿を描き切ったエヴァレットに嫉妬し、リジーとの関係にも溝が生まれてしまう。
ある時、芝居小屋の女優ジェインに魅了されたロセッティは、彼女にモデルを依頼。その絵が高く評価されたことで、ロセッティは次第にジェインに夢中になってゆく。
画家であり詩人でもあるロセッティの人間味溢れる波乱の人生に迫り、彼の代表作「ベアタ・ベアトリクス」が生み出されるまでの愛憎渦巻く人間模様を描きあげた挑戦的なミュージカル作品。
なお本作は、演出家・熊倉飛鳥の宝塚バウホールデビュー作となります。
画力を「文学」で補ったロセッティと、「純粋絵画」を極めたエヴァレット
芸術家には、2タイプいる。
音楽なら、
曲に「巡礼の年」など詩情豊かなタイトルをつけてアピールしたリストと、
曲にポエムなタイトルをつけるのに反対し、「純粋音楽」を極めたショパン。
ロセッティは、絵画に文学性を加味した、総合芸術家「リスト」タイプ、
エヴァレットは、画家人生を通してみると、ショパン的「純粋音楽」タイプ。
ダンテの呪縛、オフィーリアの呪縛
ロセッティは、高名なイタリアの詩人ダンテの研究家として有名な父を持ち、幼い頃からダンテの著書に触れて育った。
ダンテの作品に登場する理想の女性“ベアトリーチェ”に憧れ、
「俺もダンテみたいに、俺だけのベアトリーチェに出会って、俺だけにしか描けないベアトリーチェを描くんだ!」
と願っていた「ダンテ・ガブリエル・ロセッティ」。
イギリスで、親がダンテのファンだから、「ダンテ」という外国の歴史的作家の名前を付けられるって、日本でたとえると
「香川ダンテ君」
みたいな名前を付けられるようなもの?
ラファエル前派活動において、秘書的役割を果たしていたロセッティの弟ウィリアムによると、兄がラファエル前派結成した当時の理念とは、
・表現すべき本物のアイディアをもつこと
・このアイディアの表現の仕方を学ぶために、自然を注意深く観察すること
・慣習、自己顕示、決まりきったやり方で身につけた型を拒絶するために、過去の芸術のなかの率直で、真剣で、誠実なものに共感を寄せること
・最良の優れた絵や彫刻を制作すること
「現代のダンテに、俺はなる!」と思っていたのに、
リジーこそが自分にとっての“ベアトリーチェ”だと信じていたロセッティだったが、圧倒的な画力で彼女の姿を描き切ったエヴァレットに嫉妬し、リジーとの関係にも溝が生まれてしまう。
詩人としてもイギリス文学史に名を残し、豊かな詩情、アイディアに恵まれるも、
絵画理論の高尚さに比べて肝心の画力が心もとないのを、ブンガク的要素で補ったロセッティ。
彼が描いた絵には、キャプションが無くても、
「あ、ロセッティが描いた絵だ!」
と一目でわかる個性がある。
- ロセッティ・「ベアータ・ベアトリクス」 プリキャンバス複製画・ ギャラリーラップ仕上げ(6号サイズ)
- グーピルギャラリー
- 家庭用品
- ロセッティ (ちいさな美術館)
- 青幻舎
- 本
22歳で「イギリス絵画史上に残る傑作」を描き、ロイヤル・アカデミーの会員となり、最後はロイヤル・アカデミーの会長に選出されるまでに至ったエヴァレット。
- ミレイ・「オフィーリア」 プリキャンバス複製画・ ギャラリーラップ仕上げ(8号サイズ)
- グーピルギャラリー
- 家庭用品
ただ、エヴァレットの長い画業を振り返ると、彼も「22歳で代表作を描いてしまった」呪縛に苦悩していたフシがある。
「オフィーリア」以降に描いた絵は、当時のイギリスで、世間的におおいに評価されるも、上手すぎて、技術が個性を凌駕していて、
「キャプションを見ないと、エヴァレットの絵とわからない」
絵の注文は引きも切らなかったが、
「表現すべき本物のアイディア」に飢えていたのでは?
『ベアタ・ベアトリクス』は、
イタリアやフランス美術の大家に比べて、日本での一般的知名度がイマイチ劣る「前ラファエル兄弟団」の画家たちの、モデルを巡る色恋騒動について、
画家としての個性が正反対のロセッティとミレイを対比させながら、うまく交通整理していて、
演出家・熊倉飛鳥の宝塚バウホールデビュー作として、作者の脚本構成力の確かさをしっかりPRできたのではないでしょうか。
ちょっと思ったのは、ラファエロ前派の画家たちの人生の話で、実際にロセッティやミレイが描いた絵のレプリカを出さず、ダンスで絵を表現する演出について。
演出上の意図で実際の絵画を出さなかったのか、著作権上の理由があったのかはわかりませんが、
ラファエロ前派の画家の絵って、モナリザほど有名な絵ではない。
ロセッティやエヴァレットの人生や絵画について全く知らない方もいるだろう事情を思うと、彼らが描いた絵のレプリカを出してもよかった気もします。
あと、彼らの不倫は史実準拠ですが、「画家としての表現の苦悩」と「不倫の苦悩」がごっちゃになって、「よくある不倫の話」と思われては、せっかくラファエロ前派の画家たちをとりあげた意味が薄れる懸念もあるので、エヴァレットの不倫についてはあまり深入りせずともよかったような・・・
ダンテの「神曲」と「ベアタ・ベアトリクス」
個人的に面白かったところは、「ベアタ・ベアトリクス」の劇全体の構成を、ダンテの「神曲」の構成とだぶらせている趣向です。
しんきょく【神曲】
(原題La Divina Commedia 「神の戯曲」の意) 叙事詩。ダンテ作。一三〇七~二一年頃成立。
「地獄編」「煉獄編」「天国編」の三編から成る。ダンテ自身が登場人物となり、地獄の深淵から始まる三界を巡歴し、ついには恋人ベアトリーチェの導きによって天国にはいることを許され、神の愛の深さをまのあたりに見るにいたるまでの魂の浄化を描く。作者の人生観・宗教観・宇宙観の集大成的作品。
「神曲」では、ダンテ自身が登場人物となり、地獄を巡る。地獄の門を巡り、
首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす嘆きの川「コキュートス」を渡り、
冥府の神プルートー(プロセルピナの夫)の咆哮を聞き、
地獄でもがく裏切者たちに容赦ない言葉を浴びせながら、
最後は、ベアトリーチェの愛に導かれて天界に行き、父なる神と、神の子と、精霊の三位一体の奇跡を体験する。
「ベアタ・ベアトリクス」では、
エヴァレットがリジーを首まで冷たい水に漬けて「オフィーリア」を描くシーンが、「嘆きの川」のイメージに重なり、
ジェイン扮するプロセルピナは、芝居小屋で冥府の神「プルート―」の手に落ちる劇を演じていて、
ロセッティは自分を裏切った者たちに容赦ない言葉を投げかけ、
最後、リジーは「ベアトリーチェの幻影」と「ダンテの幻影」と共に三位一体で絵画「ベアタ・ベアトリクス」の構図を再現するのです。