宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「男役」望海が「男はずるいわ♪」アン・ルイス 「ああ無常」を歌う衝撃

望海風斗コンサート感想 紅子による番外編でーす。


望海さんが歌った中で、個人的に印象的だった1曲、アン・ルイス 「ああ無常」「女性歌手の歌を男役が歌う違和感」というテーマで語りまーす。


アン・ルイス 「ああ無常」 作詞 湯川れいこ

きれいでしょう ヒラヒラと いい女でしょう

見かけより 尽くすタイプね

やさしさに 掉さして 男はずるいわ

逃げてゆく 夜が明けるころ

歌詞のとおり、この曲は女性目線の歌。同じアン・ルイスの持ち歌で、湯川れいこ作詞の「六本木心中」とごっちゃにされがちなんだけど、💦


最近の宝塚でいうとSAPAのイエレナ(夢白あや)的な、心に龍を飼っていることを自覚しているようなロックンロールな女性が、年下の男の子にべた惚れしてしまって、


でも男の心は離れて行って、すがりたい思いと、そんなことできるか!というプライドで引き裂かれている女ごころ、みたいな歌なのよ。


で、興味深いのは、普段男役さんが歌う時の歌詞は、宝塚オリジナルの脚本なら「~だぜ」的な、いわゆる「男ことば」で歌うでしょ。


今回コンサートで男役さんが女性歌手の持ち歌を歌うときは、歌詞の女言葉を修正せずにそのまま歌うんだー、と思ったのよ。


だってさ、宝塚を見るときは、男役さんが実は女性ということは重々承知のうえで、全力で男として見ているじゃない。


そこで「きれいでしょう いい女でしょう 男はずるいわ♪」って、ちょっと不意をつかれません?


歌手のジェンダーと歌詞のジェンダー問題



英語圏では、曲のカバーをする際、歌い手のジェンダーが変わると歌の内容が自分のジェンダーやセクシュアリティに一致するよう、代名詞や細かい単語の性別を変えるという習慣があります。つまり、女性歌手の歌を男性歌手がカバーする時は‘he’「彼」を‘she’「彼女」に変えるなど、名詞の性別を変えて歌い手の視点にあうようにします。

紅子は英語圏で暮らしたことがないのでよくわからないけれど、英語圏ではLGBTの問題への理解とはまた別に、


芸能表現として異性愛者の男性が女性を演じたり、女性目線の歌詞で歌ったりということはレアらしいわ。



日本なんて

ゲスの極み乙女。 - 私以外私じゃないの

私以外私じゃないの 当たり前だけどね 

だから報われない気持ちも整理して 生きていたいの 普通でしょう

このバンド、バンド名が「ゲスの極み乙女。」で、ボーカルの男性はいわゆる異性愛者だと思うけれど←


まあ、一時ワイドショーでいろいろ言われていたけれど、「男性なのに女性言葉で歌っている」ことについては別に問題にされていなかったような・・・


これがアメリカだと、色恋沙汰より「ボーカルの男性が女性視点で歌っているぞ!彼は性自認が女性なのか?」のほうが問題になるのかー。


宝塚なんて、今度歌舞伎の坂東玉三郎さんが、月組公演を監修してくださるけれど、


「男性が女性を演じる歌舞伎の女形の人間国宝が、女性が男性を演じる劇団の男役を指導する」


うわー考えたらややこしいことを、日本人はするっと「そんなもん」と受け入れているのね。(ピガールの乙女たまきちといい、ややこしい芝居とショーね)


紅子、なんで宝塚みたいな面白いものが外国に無いのか不思議でしょうがないんだけれど、日本と西洋の文化の違いって根深いのねえ。