宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

礼真琴の当たり役が、やっと!「記憶にございません!」



礼真琴の当たり役が、やっと出た!


宝塚で実力に申し分なく、長期に君臨するトップオブトップの当たり役が、「ロミオ」のまま!


なのにやきもきしていましたが、まさか、記憶喪失したトホホな総理役が当たり役になろうとは!


管理人は先日TVで、三谷幸喜脚本・監督、中井貴一が主演の黒田啓介総理を演じた2019年公開の映画版「記憶にございません!」を視聴しました。


映画版も宝塚版も、不正を追及されては「記憶にございません!」で乗り切ってきた史上最低の支持率を誇る(?)総理・黒田啓介が、


本当に政治家としての記憶を無くした!さあどうなるか?


というシチュエーションコメディです。


感想は、映画版の主役中井貴一総理には「関係性の回復」を、宝塚版の礼真琴総理には「学びなおしと成長」を感じました。


実写版は、日本政治の抱える諸問題を、笑いのナイフでえぐる批評性と、江戸落語のような『粋』がありました。


映画版の背景は、アメリカンチェリーの関税撤廃が話題になっているころなので、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉が行われていた2013年ごろ、第2次安倍内閣時代でしょうか。



主演の中井貴一は当時、60近い年齢だったこともあり、緩やかに坂を降りつつある大人のための「苦いおとぎ話」でした。


映画版は、アメリカとの貿易協定締結という、マクロな「大きな関係」のために、それまでないがしろにしてきた


「妻」「息子」「地元の学校の先生や同級生」「山形のさくらんぼ農家」


たちとのミクロな「小さな関係」を「回復」していく物語でした。




これが宝塚版になると、大人の皮肉味が薄まり、まだ未来がある若者の成長物語、関西のわちゃわちゃした『もっちゃり』味が出てきます。


「青い理想に燃える若者が、転生したら総理だった」コメディとしてラノベ味があって面白かったです。


礼真琴は、中学生2年生レベルの価値観、道徳観のまま、永田町という異世界に転生し、政界の政治の仕組みもお約束も汚さも、何もかも初めて直面しとまどい生き抜くさまが、日本の政治への皮肉というより


「主人公が弱く未熟なところからスタートし、学びなおし、力をつけ、立派に成長する様子を描く物語」


「生まれ変わって、また妻に恋している」


さまを生き生きと演じていてよかったです。



礼真琴の、暁らシュッとした姿勢と仕草のジェンヌたちに囲まれて、歩くのもワインを飲むのも常にオドオドした挙動っぷりで「笑わせ」にくるところが、絶妙な塩梅でした。一歩間違うと「笑われ」ですからね。コメディには身体性が大事!


半面、舞空瞳演じる総理の妻が、昼ドラのよろめきマダム的な深みの無い人物像なので、映画版では感動的だったラストへ向けての展開にカタルシスが乏しいのが残念です。