東京宝塚劇場はなぜ日比谷にあるのか
宝塚歌劇が温水プールの失敗から生まれた話は有名ですが、昭和9年にできた東京宝塚劇場は、なぜ戦前の娯楽の中心の浅草ではなく、日比谷のオフィス街にあるのでしょうか。
中川右介著「松竹と東宝」によると、「東電の経営に携わっていた小林一三が、東電がNHKに売却しようとして頓挫した土地を、私財で買い取ったから」だそうです。
戦前宝塚ファンの女学生だった祖母が、興味深いことを言っていました。
戦前の女学校は校則がとにかく厳しくて、女学生だけで映画館に行ってはだめ、歌舞伎も遊郭が出てきて教育に悪いから見てはだめ。浅草に女学生だけで行ったら先生に補導される。・・・
つまり浅草は女学生同士で連れ立って行きづらい環境だったのでしょうね。
そんな中、宝塚は「立派な財界人がやっている、女性だけの劇団だから」「治安のいい立地にあるから」という理由で、女学生だけで行っても叱られなかったそうです。
女学校は良妻賢母になるための修行の場、女性が恋愛に興味を持つのははしたない、とでも言いたげな窮屈な風潮の中で、自分と同年代の男装の麗人が星よ、すみれよと歌い踊る。
少女による歌劇であり、「これは私たち少女のための歌劇だ」と思ったそうです。
さらにこの歌劇人気は当時全国の女学生が愛読していた「少女の友」などの少女雑誌で紹介され、それを読んだ当時おさげ髪の瀬戸内寂聴さんが、徳島からフェリーに乗って宝塚まで遠征する、というほどの全国区の人気になっていたそうですよ(笑)