テセウスの船 稀惺かずとのいる宝塚は小林一三の宝塚と同一なのだろうか
※私はTVドラマの本編はほとんど見ておりません。これは最後のあのナレーションを聞いての妄想です。
テセウスの船
ドラマの最後のナレーション
「戦に勝利した英雄、テセウスの船を後世に残すため、朽ちた木材は次々と交換され、やがて全ての部品が新しい物に取り換えられた。さて、ここで矛盾が生じる。この船は最初の船と同じと言えるのだろうか……」
さて、この船は最初の船と同じなのか?
武庫川の流れは絶えずして
これって、宝塚に置き換えると
武庫川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
ということですよね?宝塚の創設者も、初期メンバーもとうにこの世にはいらっしゃいませんが、小林一三時代の宝塚と、彼の玄孫(やしゃご)稀惺かずとが在団する宝塚は同じタカラヅカと言えるのだろうか。
うーん、小林一三さんが今の宝塚の上演を見たら、「これは宝塚だ」と言っていただける気がするけれど、何をもってタカラヅカと言えるのだろう。
王道パリレビュー大事!
宝塚と外部(たとえば四季)との一番の違いは、
「リアル男性の有無」まあこれはあたりまえですが、男役自体は宝塚の専売特許でもない。今でもOSKとかハウステンボス歌劇団とかがある。
もっと根本に、モン・パリから90年以上続く「王道パリレビュー」の素養があるかどうか、だと思うんです。
東宝や四季のミュージカルを見て、主要キャストのみならず、アンサンブルの歌やダンスのレベルの高さに惚れ惚れするのですけどね。王宮の舞踏会みたいなシーンになるとねえ・・・上手い下手より、貴族のロイヤル感が薄い方が多くて夢が覚める(汗)
宝塚では燕尾とドレスでワルツを踊るなんて日常茶飯事ですが、外部どころかブロードウェイでも、そんな古き良き「踊る紳士・淑女」ってもう王道では無い気がする。
歌舞伎だってそんなところがあると思います。香川照之は海老蔵より演技力があると思います。でも、動きや所作については、海老蔵と比べると、ああ現代人だなあと思う。海老蔵みたいな子供の頃から三味線に合わせて踊り続けてきた人は、江戸の匂いがぷんぷんする。
タカラジェンヌはひょっとしたら、2020年のリアルパリジェンヌよりも、レトロな西洋菓子の缶の絵のような、古き良きおフランスのかほりがして、客はその香気に浸りに行っているのでは、と思うことがあります。それも王道パリレビューの「踊る紳士・淑女」の素養があってこそ。
まとめ:宝塚の同一性の根っこは王道パリレビュー
最近一本ものが増えて、小粋なパリジャンが「パリー♪」と歌いながら銀橋を渡るような王道レビュー減ったよね。特に月組。
↑つまりこんな感じ(戦前の男役スタア 水の江瀧子さん)