宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

OSKもショーを無料公開 OSKとは?宝塚のパロディではないよ

OSKもショーを無料配信中


2019年 Viva La Vida!(OSK日本歌劇団)
↑「この動画はYouTubeでご覧ください」をクリックしたらYouTubeで再生できると思います。


OSKって宝塚のオマージュ劇団?

本ブログでは今は無きSKD(松竹歌劇団)のことを何度も言及しておりますが、本記事ではOSK日本歌劇団についてご紹介。


戦前、男装の麗人が歌って踊る少女歌劇文化は、宝塚の専売特許でもありませんでした。


(なんと、うどん県の山間の温泉地にも、少女歌劇を売りにする遊興場があったほど、日本中に類似の劇団はあった)


1922年(大正11年) 、宝塚少女歌劇の成功に刺激を受けた松竹が「よっしゃうちも」と「松竹楽劇部生徒養成所」を創立


(これは松竹が小林一三氏に相談し、一三氏も日本に歌劇文化が根付く土壌になれば、と承諾してのことだったそうです)


その後OSK(大阪松竹歌劇団)となります。


戦前の少女歌劇ブームの中、良きライバルとして発展するも、戦争で中断。


戦後の宝塚の歴史はご存じのとおりですが、OSKは松竹の手を離れ近鉄傘下に。奈良にあったあやめ池遊園地に本拠地を移します。


その後近鉄小劇場でのお芝居公演もあったのですが、基本遊園地のアトラクションとして継続しておりましたのでね・・・


そして2003年、親会社の近鉄の経営不振により、OSKは解散。


その後再結成するもまた倒産したり、復活したりいろいろあって現在に至ります。


OSKのショーを拝見して

宝塚の基本はお芝居とショーの2本立て、新人公演は基本お芝居で「男役と女役による愛憎劇」の表現を身に着けることに重点を置いておりますよね。

OSKは遊園地のアトラクションのショーが基本で(たまに近鉄小劇場でミュージカルは公演していた)「ダンスのOSK」と呼ばれておりました。

本ブログに張り付けているショーの出演者で、解散前のOSK時代に在籍していたのは主演の桐生麻耶(きりゅうあさや)さんさんくらい。


正直、彼女(宝塚でいうともう研25は過ぎているはず)と解散以降の入団者で男役芸・女役芸の伝承が断絶している感があるなあ。


OSKの美学とは何か

宝塚には、劇団四季とも東宝ミュージカルとも違う、いわゆる宝塚調が確固としてありますよね。男役の美学、娘役の美学が。


最近いろいろな舞台がオンラインで舞台映像を配信しているのを見ていると、


野球でも、ベースボールと日本のプロ野球と甲子園は、同じ野球でも別物、阪神と広島と巨人のファン気質は違うように


例えば「白鳥の湖」でも、ボリジョイバレエと他のバレエ団はやっぱりスタイルが違う。オペラでウイーン歌劇場とミラノスカラ座も、技術はどこも超一流だけど、やっぱり色というか空気感は違うのを感じる。


どこも長い歴史があり、専門の養成所があり、独自のメソッドがあり、代々常連のファン気質も相まって作りあげる「独自の匂い、美学、スタイル」がある。


OSKも解散前を知る桐生さんの専科移籍、トップ交代が発表されています。OSK独特の美学、スタイルをどう打ち出すのか、ヅカファンとして興味深いです。