華優希を称える「芝居の上手さ」嘘の無い演技って何だろう
「演技が上手い」って何だろう
宝塚ファンは日々、ジェンヌの歌が、ダンスが、と批評し続けているわけですが、
歌やダンスは、音程やら、リズム感やら、動きのキレ、体幹のブレなさetc.
ある程度客観的なものさしがあります。
ところで、「演技がうまい」って何でしょうね。
セリフの口跡、滑舌は大事。
でも、セリフをすらすらぺらぺら、澱みなく流暢に語れば、客の心に沁みるのか?
そういう演技って、わたしは時々「よくわかりすぎて、かえってよくわからない」と思うことがあります。
メソッド演技とは
じつは「週刊少年ジャンプ」で「アクタージュ」という「ガラスの仮面」の令和版のような漫画が連載されておりました。(諸事情で連載は途中打ち切り💦)
この漫画は、演劇界を舞台に、「演技が上手い」とは何か?をテーマにしていました。
キーワードは「メソッド演技」
メソッド演技
その役柄を演じるために、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法
私は芝居の型を「アポロ型」「デュアニソス型」と分けております。現国のテストで例えると
アポロ型:本文を客観的に分析して答える優等生
デュアニソス型:自分ならどう思う?で答えるから点数が安定しない生徒
宝塚でも、外部の映像の世界で活躍される役者さんでも、「演技が上手い」役者のほとんどはアポロ型だと思います。知的な計算で、役を構築していく入り方。
客のほうも、「ああ、これはお芝居としてやっている」と安心してエンタメとして消費できる。
デュアニソス型は、結構レアだと思います。宝塚でいえば・・・もう花總まりさん、明日海りおさんクラスの人。
当然緻密な計算もあるのでしょうが、役に入り込む、というか、役の感情と、役者自身の感情との継ぎ目が無くなって、
客も役者の感情に引きずりこまれて「え、この人、マジ?」と怖くなってしまうような人。
普通の人には、メソッド演技はある程度は訓練できても、「上手いを超えて怖い」レベルに行くには、それは神に与えられた天与の才だと思います。
演じることで言える本音
自分以外の誰かになる 恐ろしい芸術だわ。
そんな異能に長けた人間を育てて、彼女の人生に責任がとれるの?
アクタージュ 第1巻より
お芝居をする、というと、「あなた、他人になりすます、ウソをつく練習をするの?」などという人がいますが💦
私は華優希さんの、ウソのない演技が好きでした。
彼女の当たり役、はまり役と言えば『ポーの一族』のメリーベル、『はいからさんが通る』の紅緒を挙げる方は多いと思います。
何がすごいって、この2役、原作マンガを読んだ方を「マンガそのまんま!」と思わせるのみならず、
原作マンガを読んだこともない方にも「これははまり役だ!このキャラはきっとこうだった!」と思わせたことですよ。
人の世から切り離されて、永遠に大人になれず、13歳のまま生きるメリーベルが、アランをポーの一族に引き入れようとするエドガーに、
「この人、まだ人間の世界に未練があるわ!」
妖精と戯れた黄金の子供時代の記憶に囚われそうになりながら、老境に至ってその幸福な記憶を、美しいおとぎ話として紡ぐことで、生きる糧に昇華した老女の矜持
少尉の葬式で、母の形見の白い喪服に身を包み、遺産相続に口を突っ込む親戚陣に
「 吉次さんはここにいる誰よりも、お焼香をしていただくにふさわしい方です」
リアル人生で、リアルに耳にしたり、口にすることはまず無さそうなセリフに、華さんは聞くものにヒリヒリとした感情を想起させ、
ああ、このキャラは生きてそこにいる、と思わせるリアリティーを与えることができる、稀有な表現者であったと思います。
彼女は、他者を依り代とすることで言える本音、ウソでしか言えない真実、といったものがある、
そしてそれを演じることが、演じる者自身の救いとなることがある、ということを教えてくれました。
柚香とは2017年の外部劇場公演「はいからさん―」でコンビとして共演。おてんばなヒロイン・花村紅緒は華の当たり役となった。
今年3月に「はいからさん―」の異例の大劇場再演で本拠地お披露目となるはずだったが、新型コロナウイルスの影響で延期・休演が続き「公演休止期間がとても長かったので、心が揺らぎ、(退団が)寂しいという気持ちも生まれました」。
それだけに、入団から6年半で一番思い出深い作品も同作を挙げ「この(コロナ禍の)期間を一緒に乗り越えてくれたよう、3年前の初演で出会わせていただいてから、ずっと紅緒さんに励まされてきた。一生忘れられない役になると思います」と、しみじみと話した。
いやー私もねえ、紅さんが退団してさみしかったんだけど、紅子さんのキャラを模倣することでさみしさを紛らわせているというか、紅子キャラのおかげで言えることがあるというか・・・え、違う?