SAPA オバクの素数へのこだわりに人間らしさの名残を見た
えーっ、唐突ですが、私は子供の頃から数学が大の苦手です。
初演エリザベートのビデオを買ったときは、あまりにハマって、100回以上巻き戻し、授業中も
「第一幕ラスト、エリザベートはなんであんな遅い時間に、お風呂のあとでがっつり正装していたのだろう」
とアホなことばかり考えていて、数学のテストで赤点をとったことがあります。(先生ごめんなさい)
そんな数学嫌いの私ですが、今回オバクの№30011が素数がどうこう言っているシーンで、長年の疑問が1つ解けました。
素数30011の謎
私ごとで恐縮ですが、結婚したときに、ご祝儀になぜか30,011円を包んでくださっている方がいて、
「この11円何?」
と思っていたのですが
素数:1と自分自身以外に正の約数を持たない自然数で、1でない数
もしや。
都市部の風習は存じ上げないのですが、うちの田舎では「ご祝儀の額は偶数だと割れてしまって縁起が悪いから、奇数の1万円とか3万円とかで包む」
と言っているのですが、
30,000円って偶数でしたね(笑い)
調べてみたら、29989の次の素数は30011。
ははーん。
で、素数でご祝儀をくれた方は、京大卒の方でした(笑)
うーむ、オバク君、科学者としての過去を消されても、本能的に「自分自身以外の奴に、俺を分割されたくない」と思っていたのかしら。
ハッピー数、幸運数というものがある
ここからは、SAPA配信と同時期に配信で鑑賞した三谷幸喜氏による、架空の独裁政権の国で思想犯収容所に入れられた役者たちの群像劇を鑑賞した時の思い付きです。
で、オバク君、故郷の言葉を忘れてもラッキーだハッピーだの、なんのことだろうと思っていたのですが、調べたら数学の世界に「ハッピー数」とか「幸運数」とかいうのがあるそうです。
ハッピー数 1970年代のロシアで提唱されたそうです。
ハッピー数(ハッピーすう、happy number)とは、自然数の各桁を1桁に分解して二乗和を取り、新しくできた数についても同じ処理を繰り返し行って、最終的に1となる数を指す。
ラッキー数 1955年ごろ、ポーランドの数学者によって提唱されたそうです。
さっぱりわからないけれど、素数に関係することですって。
こういう用語が、共産主義下で生まれたのが興味深い。
宗教は阿片であると言われた時代
SAPAの世界観自体は、おそらく旧共産主義国をイメージしているとおもいます。共産主義政府ではおおむね宗教は、
「科学で説明できない、しょせん人間が作った迷信」
「民衆に、現実と立ち向かうことを忘れさせ、思考放棄させる、阿片のようなもの」
として否定・弾圧されました。大麻かよ。
旧ソ連では、文学者と数学者では、文学者の方が弾圧されがちでした。
文学者は「形のないものに、誰が愛なんて概念を名付けたのだろう」とか、飯のタネにならない、証明もしようのない、不要不急の事ばかり考え、
口だけは達者で「共産主義だって、宗教と同じ、所詮人間マルクスの考えた概念じゃん」といらんことを言うので、嫌われたんですね。
宗教禁止でも、数字に縁起をかつぐ?
で、オバク君。過去の職業はおそらく数学者か、自然科学者でしょう。
ソ連ではスーパーエリートですよ。文系よりは理系のほうが明快な、証明可能な、何よりお国の為に役にたつ学問。
そんな神亡き世界の数学者、超合理的な精神の持ち主であろう共産主義国のエリートが、数字に「ラッキー」とか「ハッピー」という名をつける。
あー、ソ連のエリートもニンゲンだったんだなあ、とちょっと親しみがわきました。
そして記憶を無くした元超エリートのオバク君が、記憶をなくし、どんな言語をしゃべっていたのかすら忘れ、宗教や文化は迷信として否定されても、
「この数字は素数か?ハッピー数か?幸運数か?」と考える。
断捨離して、断捨離して、それでも捨てられないものにその人の本質が見える、というけれど、
ニンゲンもどれだけ非合理を否定されても、数字という合理的なものに割り切れない思いを託したり、縁起をかつぐ、というところに、
「人間らしさ」の名残はこんなところに引っかかって残るものなんだなあ、と思いました。