宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

真彩MSこれぞ「表現力」声色のカラフルさと1音の情報量の豊かさに聞きほれる

真彩 希帆の歌唱は、1つの音の情報量がめちゃくちゃ多い

真彩 希帆 ミュージック・サロンの配信を視聴いたしました。


まずお断りすることがございます。私の長年の夢は「贔屓の歌に聞きほれたい」ということでございます。


が、私は贔屓は顔の好みとスタイルで惚れるタイプでして・・・贔屓の歌については


それでも好きだよ 


というスタンスです(武士の情けじゃ、言わずとも察してくだされ)


私はたぶん、歌の上手い下手についてはだいぶ鈍感、というか、味音痴ならぬ聴覚音痴なんでしょうね。


いわゆる歌下手もあんまり気にならないし、上手いと言われる人の上手さもあまりわかっていないのだと思う。


(ヅカファンをやるには、お幸せな聴覚の持ち主なのか、音楽の至極の陶酔を知らないまま生きている不幸なファンなのか💦)


そんな聴覚音痴な私ですが、真彩 希帆さんのミュージック・サロンの配信を視聴(拝聴)いたしまして、今やっとわかったことがあります。


真彩 希帆の歌唱は、1音あたりの情報量がめちゃくちゃ多くて、色彩豊かだ。


「ありのままで」に見る、英語歌詞を日本語にすると情報量が減る問題

今回のディナーショーでは歌われていないのですが、説明の為、最近の洋楽で1番のヒットであろうアナと雪の女王の主題歌「ありのままで」で考えてみます。

Idina Menzel - Let It Go (from Frozen) (Official Video)



Takako Matsu - レット・イット・ゴー~ありのままで~ (From "Frozen")


元の歌詞
Let it go, let it go 
Can’t hold it back anymore
Let it go, let it go 
Turn away and slam the door
I don’t care what they’re going to say
Let the storm rage on.
The cold never bothered me anyway


直訳
ほっといて 行かせて これ以上隠しておけない
ほっといて 行かせて 背を向けてドアをピシャっと閉めて
私は気にしない 彼らが何を言おうとも
嵐よ吹き荒れろ 寒さは決して私を悩ませない


日本版歌詞
ありのままの 姿みせるのよ
ありのままの 自分になるの
何も怖くない 風よ吹け
少しも寒くないわ


直訳するとメーガン妃の言い分みたいな歌だな・・・日本版はだいぶマイルドに意訳していますね(シシィの「私だけに」の原歌詞も大概だけど)


話が逸れた💦


最後、
The cold never bothered me anyway
ざこーるどねばーぼだみーえにうぇい(まかぜ💦)
すこしもさむくないわ


英語を日本語の歌詞で歌うと、日本語は音節が少ないから、どうしてもメロディに乗せられる歌詞の情報量が減ってしまうんですね。


で、いわゆる歌が上手い人でも、音に言葉を当てることにとらわれて、


単純な内容を、あっけらかんと歌っているというか、音は外していないけれど、


一曲の中で、どの音も同じ声色に聞こえることがあるんですよ。


(反対に、歌詞に芝居っ気を入れすぎると、音を外す人もいる💦)


真彩 希帆の歌唱は、一曲で声色がどんどん変わる

で、真彩さんは、洋楽を日本語で歌う時も、英語で歌っているように聞こえるんです。1音あたりの情報量がすごく多いんですよ。


文字で例えると、表音文字でなくて、表意文字。


漢詩で例えると、


国破れてサンガリアもとい、杜甫の


国破山河在

国破れて山河あり

国は破壊されたが、山や川はもとの姿のままで存在している。

杜甫 『春望』


漢詩はたった5文字でも、表意文字なので、伝えられる情報量がとても多い。


この漢字たちのように、真彩 希帆の歌は1音1音に意味(色)があって、とても色彩豊か


音から音へ移る時も、同じ声色ではなく、そのメロディで、その音が歌われたがっている「声の色」を探し出して歌ってくれる。


母音の色を発見した。

Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、

母音たち、

おまえたちの穏密な誕生をいつの日か私は語ろう。

―アルチュール・ランボーー

このポエムの意味がすこしだけわかった気がした、配信視聴の夜でした。