宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

真彩MSの白眉「ダンスはやめられない」考察インスピレーションを与えられない無残

「ダンスはやめられない」を初めて聴いた時の衝撃

真彩さんのミュージック・サロンで一番印象的だったのは、「ダンスはやめられない」でした。私はこの曲を知らなくて、


いきなり


”♪毎朝 陽が昇る頃  ベッドに就くのよ 太陽は体に悪い そう思ってるみたいに”



え、なになに、太陽が体に悪いって、ヴァンパイア?ポーの一族にこんな曲あったけ?


夫は芸術家で、インスピレーションを与えるため、踊りに行くのね、主婦なんてムリ!なのね。


うわあ、勉強嫌いでママに「お前は乞食になる」と言われ、姉さんに「おまえだって歌手になれるのに」と言われ、



”毎晩どこかへ踊りに行く  やめられないの

生きて愛し夢に溶ける 流れる血にシャンパン  髪にバラを挿して”


後で調べたら、この曲はミュージカル「モーツァルト!」から、モーツァルトの妻コンスタンツェのナンバー「ダンスはやめられない」だと知りました。

この曲のテーマは「inspiration」?


inspiration:「ひらめき」「霊感」


思いつきの直感、というよりは、


ラテン語で「呼吸する」「息を吹き込む」という意味がある


聖書で神がアダムの鼻に「息を吹き込む」ことで人間を創造した、という神話のように、人が創作という新たな命を紡ぐ奇跡というニュアンスがあるみたいです。



10で神童、15で才子、20過ぎればただの人、と言いますが、モーツァルトは紛れもなく天才であり続けた。


脂汗を流してアイデアをひねり出す、というよりは、天国で天使の奏でるハープを聴いてきて、それをそのまま再現するように音楽が疾走して、書き留める手が追い付かないほどに、天才だった。


姉のナンネルいわく

要するに音楽が続く限りは彼は音楽そのものであり、音楽が止むとすぐに元の子どもに戻るのだった。

でもウイーンの音楽業界は「大人」の世界で、人間界に下りたモーツァルトは子どもすぎた。音楽を続ける居場所を失っていた。


芸術家の夫の「才能」は死にかけていて、彼女は瀕死の夫に息を吹き込み、もう一度生命をあたえよう、としたのだろう。


芸術家にとって「運命の女」は、子育てに追われて所帯じみて、シュニッツェルの肉をケチったりしてはダメなのだ。


でも、真彩希帆はラスト、


”インスピレーション 与えなくては”


ここの「インスピレーション」という1単語に込めた声色で、


コンスタンツェは芸術の「ミューズ・女神」になれる器ではない、真の創造というものに触れることのできない凡人である、という無残をみせつけた。



そして、真彩希帆の宝塚での最後の役どころは、


聴力を失い絶望する天才音楽家の前に姿を現した謎の女。女の不可解な存在にいらだちながらも、いつしか彼女を人生の旅の友としてゆくルートヴィヒ。

ベートーベンにインスピレーションを与えたリアル「不滅の恋人」ですよ!


ダイスケ先生、憎い構成だね!


3者3様の「ダンスはやめられない」



『モーツァルト!』歌唱披露/ 生田絵梨花&木下晴香 ♪「ダンスはやめられない」



『モーツァルト!』♪ダンスはやめられない/平野 綾
あの感動が忘れられずネットを漁ると、いろんな方が歌っていらっしゃいました。



生田絵梨花さんは国民的アイドル、木下晴香さんはオーデションで選ばれし歌うま、


平野綾さんは元々声優の世界でファンから女神と呼ばれ、とあることで「私は女神ではありません」となって、活躍の場をミュージカルに移した方。


3者3様のコンスタンツェですね。



一番歌が上手いのは木下晴香さんかなあ。まだ「素の自分」が覗くね。「役を生きる」ことはこれから修行だね。


生田絵梨花さんはさすがアイドルで、素の自分でなく「スター」として存在している。”生きて愛し夢に溶ける 流れる血にシャンパン  髪にバラを挿して”の艶やかなこと。


平野綾さんは、なるほど「声優」出身で、舞台上での身体や表情のつくり方は生田さんに比べたら甘いところがあるけれど、コンスタンツェの全く天才でない、凡人としての哀れという意味ではリアルかも。


歌詞を「セリフ」としてとらえる力はさすが。ラスト ”インスピレーション  与えなくては” の無残は一番あるかも。