ポーアランは千葉雄大 原作アランのモデルは実はあの人?
アラン役は千葉雄大くん
すわ宝塚OGか、などいろいろ予想が飛び交っていましたが、発表されてみるとなるほど、雄大君ね。
1989年生まれ、ということは、雄大君も30代なのね・・・いつまでも若いままのイメージがあったから、なんだかびっくり。彼も時を超えているわねえ・・・
千葉雄大くんのメッセージ
ビジュアル撮影では、少年性とミステリアスなイメージ、少しやんちゃな部分を意識して臨んだところ、小池先生から撮影中に「スーパーボーイだね」と声を掛けていただきました。
対のようで対比な二人の絶妙な世界観をこのビジュアルで感じていただければと思います。
対のようで対比な二人
エドガーとアランって、歳をとらない者同士ですが、どうしてもエドガーが先輩(攻め)でアランが後輩(受け)みたいな関係があって、
アランがエドガーに甘えたり、わがまま言って困らせたり、エドガーの支配から飛び出していきたがったりしているフシがあるように思います。
対のようで対比な二人 萩尾望都と竹宮惠子
ところで、アランのモデルって誰だと思います?
私は、ポーの一族執筆当時、萩尾望都先生と同じアパートに同居していた竹宮惠子先生(代表作「地球へ・・・」)の存在が透けているんじゃないか、と思っています(こんな話、当事者は全く口にしていないので完全妄想です)。
萩尾望都がポーの一族を執筆した1972年は、同時期に池田理代子先生がベルばらを執筆開始した、少女マンガ界の歴史に残る年。
当時の少女マンガにおける「愛」は、親子の愛か、学園もののボーイミーツガール(描写はキスまで)。
男性のマンガ編集者から「女の子に難しい歴史ものはウケるわけない」と言われた池田理代子先生は、オスカルとアンドレの「今宵一夜」を描いて、少女マンガ界に革命を起こした。
で、狭い長屋(大泉サロン)に同居していた萩尾望都と竹宮惠子は、当時の欧米の男性の同性愛を描いた作品(ルキノ・ヴィスコンティ作品など)に大いに感銘をうけ、これを少女マンガでやりたい!と決意するも、出版社の男性編集長は
少年愛?はあっ?
1972年、萩尾望都は、まずメリーベル主体の短編を断続的に連載して「これは少女マンガですよ」と油断させておいて、じわじわとエドガーとアランの関係を提示して、読者にわからせてしまった。
このころ、大人たちはまだ革命に気づいていなかった。あとから振り返ればとんでもない革命だったけれど。
同居していて、切磋琢磨するライバルと思っていた同士が、しれっと「ポーの一族」みたいなマンガを描いてしまったら・・・
1973年、竹宮惠子、スランプの果てに、萩尾望都に「距離を置きたい」と言って急にアパートを出る。
1976年、竹宮惠子は正面から「少年愛」をテーマにした「風と木の詩」を発表、文化人から「漫画を文学にした」と絶賛される。現在に繋がる女性作家による「BLもの」の原点となる。
同じ年、萩尾望都、ポーの一族の最終章「エディス」で、あのラスト。
2人とも、少女マンガ史を語るうえでは絶対に欠かせない人。萩尾望都は今も現役マンガ家、竹宮惠子は京都精華大学のマンガ学部教授、学長として後進の指導に努め、どちらも社会的な地位のある方同士なのですが、
竹宮惠子先生がアパートを出てから40年以上、2人はインタビューでも著作でも、お互いの名を一切出さないまま。
竹宮惠子の萩尾望都への想いは、2016年になって、竹宮惠子が自伝「少年の名はジルベール」を出版することで知られることになり、
萩尾望都は2016年、40年ぶりに「ポーの一族」の続編の連載を開始する。
小池修一郎先生、宝塚という耽美な秘密の花園を飛び出して、対のようで対比な二人の絶妙な世界観を、どのような切り口で魅せてくれるのでしょうね。
あと、メリーベルは出ないような気がします。そもそも今回は女性と男性でボーイズラブの世界をやらなければならないのに、メリーベル(女性)を出したら、焦点がぼやけるような気がする。
参考文献
花組公演『ポーの一族』制作発表会 パフォーマンス(ノーカット)