「歌うまは正義」と言われると、ごにょごにょ
歌うまは正義というけれど
皆さま、連休をいかがお過ごしでしたでしょうか。配信のおかげで、望海コンパターンB、パターンC、そして星組千秋楽と3日連続で宝塚の今に触れることができて、本当にありがたい日々でした。
星組千秋楽、礼さんオデコが急に広くなっちゃったね、と微笑ましく見ていたら、急に中断したりいろいろあったけれど、立派に乗り切ったね。心なしか、礼さんの背が高くなったように見えるわ。これがトップオーラかなあ。
愛月さんも、パレードで立派な大羽のふわふわとした羽毛までくっきりと見えて、
あの堂々とした体躯がキッとターンした時、画面から、大羽からバッサアと吹く風を確かに感じたわ!4Kってすごいわね!
あの方、男役芸術の中核にある、何とも言えない暗い、悩ましい魂をつかんでいる貴重な存在だわあ。
でね、この連休、いろいろなところで「歌うまは正義」という言葉を目にするわけですよ。
なんの異論もございません。歌が上手いに越したことはございません。
でもね、歌うまが「正義」(ドヤ)と言われると・・・
私は常日頃「贔屓の歌に聞きほれたいなあ」と願っているわけですよ。
わかっています。「どうにか音を外さずに歌い切った、よっしゃ!」と「歌うま」の間には、深い河があるんですよ。
歌うまが正義なら、私の贔屓って何なんだろう、という思いがちびっと・・・いや、正義の反対って何だろう?
まさか、歌へたって「悪」なの? いやあああ!