そして男役がいなくなった ライバル劇団SKDが解散した日
先日の記事の中で、戦前の男役スター ターキーこと水の江瀧子さんについて言及したのですが
彼女は宝塚の殿堂にはおりません。なぜなら彼女はタカラジェンヌではなく、松竹少女歌劇(SKD)のスターだったのです。
戦前は浅草、国際劇場(客席4,000!)を拠点にし、東京に限れば宝塚よりも人気があったといわれたSKDですが、戦後は緩やかに衰退していきます。
お芝居をしない男役
戦後宝塚は、東宝の巨匠菊田一夫を作・演出に招いて「霧深きエルベのほとり」「ダル・レークの恋」を上演するなど地道にお芝居を続けていましたが、SKDは浅草に来る地方からの観光客や外国人をターゲットに、お芝居はせず90分のショーのみのプログラムでした。
しかしこの方法では常連客がつきにくく、客足は徐々に減っていきます。
宝塚がベルばら、風共で沸いていたころ、SKDも漫画原作の舞台に挑戦しますが、劇団員にはお芝居の経験が無く、評価は厳しいものだったようです。
男性目線意識のショー
1978年、松竹はSKDを映画「男はつらいよ 寅次郎わが道をいく」に登場させて宣伝を図ります。
映画に残るSKDの舞台は、宝塚との差別化のため男性客へのアピールを狙ったのでしょうか、ラインダンスの衣裳はおへそが見えるビキニスタイル!宝塚でいえば専科のおねえさまの学年の女役さんが、腰をくねらせてセクシーに踊るシーンがメイン。
男役らしい方もいるのですが、大階段の黒燕尾の群舞やデュエットダンスを魅せるようなものではなく、女役の支え、みたいな位置づけでした。
映画『男はつらいよ』(第21作)予告編映像
そして解散へ
宝塚がエリザ初演に沸いていた1996年、SKDは解散します。特に存続活動もありませんでした。最後まで残っていた劇団員16人による解散公演。ニュースに映っていたのはセットもなく、ピンライトもない素の照明の舞台。もう男役はおらず、女性ダンサーばかりの舞台でした。
ターキーこと水の江瀧子さん