宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

轟特別顧問が、本公演で大階段を降りずに退団するなんて


いや、何をびっくりしたって、



専科(特別顧問)の轟悠が、2021年10月1日付で退団することとなり、2021年3月18日(木)に記者会見を行います。


戯作
『婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)』
◆梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ:2021年7月9日(金)~7月15日(木)
◆東京芸術劇場プレイハウス:2021年7月21日(水)~7月29日(木)





轟悠ディナーショー「タイトル未定」


<日時>
2021年8月23日(月)・24日(火)


<日時>
2021年9月21日(火)・22日(水)


10月1日付で退団、ということは、タカラジェンヌ最後の日を、舞台に立たずに過ごすことになるわけですよ。


さよなら私の青春


管理人が初めて宝塚の生の舞台を拝見したのは、1996年4月、香川県民ホールでの、地方公演(当時は全国ツアーと呼んでいなかった)『あかねさす紫の花』


大海人皇子:一路、額田王:花總、そして中大兄は、当時まだ3番手だった轟さん。


その時の戦慄から、もう四半世紀。


ネタかと思われるかもしれませんが、私は初めて宝塚を見て、その晩いきなり39度の熱を出して、3日寝込んだ。4月なのに(インフルでも無かった)。リアルに知恵熱?を出したのは人生であの日だけだった。


今さらっと「戦慄」の2文字で表現したけれど、その時の戦慄の正体を解き明かしたくて、わたしは1年以上このブログでうだうだ書き散らして、まだまだ全く語れていない気がする。


あの日、あの時、あの場所であなたに出会わなければ、私は今頃何をしていたんだろう。少なくともブロガーにはなっていなかったな。




宝塚と歌舞伎は、若いうちに見ておくほうがいいね。今や、私は男役トップさんよりとっくに年上だけど、


今でも宝塚を見るときは、精神年齢は、1996年4月のあの日の自分に戻っている気がします。



何が嬉しかったって、あなたはずーっと舞台の上で若かった。あなたが老け役に回らず、「宝塚の主役、センター」であり続けたことに様々な意見があるでしょうが、


貴方が若々しくいてくれるおかげで、宝塚ファンであり続けた私も、ずーっと気分だけは若かった(ように思う)


今や配偶者も息子もいて、何を言っているんだ、ですが、


今日、本当に、私の青春は終わった気がする。


思えば遠くへ来たもんだ。


「ありがとう」は、まだ、言いません。

轟さんの功績



男役芸というのは、おそらく世界でも、宝塚の現役生200人くらい(+OSKとか?)しか継承者がいない、超レアな特殊技能で、


たとえば、ブロードウェイで歌うまダンサー女性を80人集めたら、宝塚よりよっぽど上手い、男装の麗人と淑女のレヴューができるか、といったら・・・


うーん・・・上手いでしょうが別物だろうなあ・・・




演出家は稽古場では教えられるけれど、舞台に上がったら、芝居はもう役者と観客のもの。


役者は、共演者に鍛えられながら育つもの。


素晴らしい専科のお姉さまたちはいらっしゃいますけど、彼女たちはいわゆるセンター育ちではない。


舞台の全てを引き受けて、真ん中にズンと立つ居方を伝えられる方って貴重だと思いますし、これからの轟さんで見たい役もあったので私は、轟特別顧問の今後の活躍を楽しみにしておりました。


縣・・・あなたが、新人公演で轟さんの役を演じた最後の生徒になってしまったよ。