宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

老兵は死なず、ただ消え去るのみ お相手は一般の方なのね(笑)


お相手は一般の方なのね(笑)



最後に、報道陣から結婚の予定を聞かれると、手をたたいて喜び、「『実は、お名前は言えないのですが、一般の方なので…』と、ここまでは用意しておりました。募集いたしております」と、冗談を交えて締めくくった。


ふふふ・・・轟さんらしいや。


あ、でも、「女の直感」でいわせてもらうと、これあながち冗談でもないかもね。
最近の轟さん、一時に比べて、色気が増してきたような気もしていたんだ(笑)


男役の教科書、楷書の芸格


「男役の教科書」、いい表現だなあ。


轟さんのトップ就任~理事時代の芸風は書道でいうと、「楷書」の芸風だったと思います。



漢字の書体の一つ。真書,正書ともいう。楷の字義に,法,式,則,模などの意味があるように,一点一画を正確に書く書体。



学校では書道の時間にまず楷書、次に行書、上級者は草書、とだんだん崩していくけれど、実は書体の歴史としては、行書や草書のほうが成立が早く、その先に楷書が生まれている。


教科書的な楷書は、いきなり発生したのではなく、闊達な行書や、自由奔放な草書の先に生まれたように、


轟さんも、研1から教科書的だったのではもちろんなく、


トップ時代以前、マジボケやらお茶目キャラ(まず再演されないと思うけど、『虹のナターシャ』 の 栗崎武志とか)をなさっていたのが懐かしい。


「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」


ラスト・ステージにディナーショーを選んだことは、轟自身の希望だったと明かし「雪組トップとして退団するのでなければ、大階段をおりたり、サヨナラショーをすることは『ない』と、決心しておりました」と、107年の伝統を受け継ぐ宝塚での流儀を貫く覚悟だったとも口にした。


趣味の個展も開き、退団後は「何をしたいか、これから考えます」。穏やかながら、低く、重みのある声で会見を続けた轟は、サヨナラショーもせずに退くことに「静かに退団させてほしい。それが一番私らしい」と語った。

そうかあ・・・


轟さんの去り様に、『黎明の風』ゆかりのマッカーサー元帥の演説を思い浮かべました。


「私は52年の軍務を終えようとしている。…だが、(陸軍士官学校入校)当時、兵舎で最も流行(はや)っていた歌の一つの繰り返し句は今も覚えている。


『老兵は死なず、ただ消え去るのみだ』と、この上なく誇らしげに謳(うた)っていた。


そしてあの歌の老兵のように私は今、軍歴を閉じて、ただ消え去っていく。神の示すところに従って自らの任務を果たそうとした一人の老兵として。さようなら」

【一筆多論】「老兵は死なず…」の真意(2/3ページ) - 産経ニュース


マッカーサーの時代、職業軍人が老兵となって退役するまで、軍務を務めあげられることは、このうえもなく誇らしいことでした(多くの若い兵士は、負傷して途中退役したり、そもそも老兵になるまで生きられなかった)


ほとんどの場合、男役トップ芸は、研20までは見られない。


轟さんは、男役芸20年の「その先」にある可能性を開き、それは宝塚の枠を超えて、日本の演劇界の歴史の1ページとして刻まれるに値する、豊穣な実りであったと思います。


男役さんが退団挨拶でよく「もうすぐ、男役○○の鼓動は止まります」と言うけれど、


あなたが退団しても、あなたが守り伝えた「宝塚の男役芸の教科書」は、宝塚歌劇団がある限り、後輩たちの男役芸の中に生命を得て、伝わってゆくでしょう。