宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「限りを知り命を知れ」言えなかった「愛してる」ウエクミ節は戻るのか

キャッチコピー 限りを知り 命を知れ


『桜嵐記(おうらんき)』

作・演出/上田 久美子   


南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。


度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。


「太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。   


主な配役

楠木正行: 珠城 りょう

弁内侍 :美園 さくら

楠木正儀 :月城 かなと


楠木正行のお父さんは、有名な楠木正成。


月城さん演じる楠木正儀は、兄正行の戦死後、楠木一族を統率。南朝方の重鎮として南北朝の和議を策して成立せず、一時北朝側についたが、永徳二年(一三八二)再び南朝に帰順(生没年未詳)


珠城さん演じる楠木正行は、今では高校の日本史の教科書や資料集でも名前を見ないけれど、


戦前の日本人なら、みんな名前を知っていた方でした。


明治32年の唱歌。「青葉茂れる桜井の」

足利尊氏(風間 柚乃)の大軍が迫る中、勝ち目のない戦に打って出る楠木正成(輝月 ゆうま)と息子正行(白河 りり)の今生の別れ。


楠木正成:父は討ち死にする。お前は帰れ。


楠木正行:私一人帰れません!父上とお供します!


楠木正成:私が死んだら、世は足利尊氏の思うがまま。


早く大きくなれ。帝(一樹 千尋)のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ。



母さんを、頼むぞ。


と、息子(当時11歳とも)に、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げたそうです(事実かどうかは諸説あり)




『大楠公の歌全曲 ~青葉茂れる桜井の~』15番までー河内長野市出身ソプラノ歌手西尾薫が歌ってみたー

一.

青葉茂れる桜井の

里のわたりの夕まぐれ

木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて

世の行く末をつくづくと

忍ぶ鎧の袖の上(え)に

散るは涙かはた露か


二.

正成涙を打ち払い

我子(わがこ)正行呼び寄せて

父は兵庫へ赴かん

彼方(かなた)の浦にて討死(うちじに)せん

汝(いまし)はここまで来(きつ)れども

とくとく帰れ故郷へ


三.

父上いかにのたもうも

見捨てまつりてわれ一人

いかで帰らん帰られん

この正行は年こそは

未だ若けれ諸共(もろとも)に

御供(おんとも)仕えん死出の旅


四.

汝をここより帰さんは

わが私(わたくし)の為ならず

己れ討死為さんには

世は尊氏の儘(まま)ならん

早く生い立ち大君(おおきみ)に

仕えまつれよ国の為め


五.

この一刀(ひとふり)は往(いに)し年

君の賜いし物なるぞ

この世の別れの形見にと

汝にこれを贈りてん

行けよ正行故郷へ

老いたる母の待ちまさん


六.

共に見送り見返りて

別れを惜む折りからに

復(また)も降り来る五月雨(さみだれ)の

空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)

誰れか哀(あわれ)と聞かざらん

あわれ血に泣くその声を


まあ、戦前は時代的に、「母さんを頼むぞ」よりも、「早く生い立ち大君(おおきみ)に仕えまつれよ国の為め」のほうが強調されがちで、


戦後はちょっと軍歌的なものとみなされて、あまり歌われなくなってしまいました。


私の好きなウエクミ節

私は普段の調子から、ウエクミ信者(石田先生は苦手)と思われていそうですが💦最近のSAPAやfffを見ると、知的に面白いけれど、


漱石の『智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。』


という言葉が浮かぶ。


宝塚と言えば「愛していると言ってくれ」だと思っているけれど、


私はウエクミワールドの登場人物の、智と情と意地がせめぎ合って言えなかった、でも確かに観客の胸に届く「愛している」が好きです。





「母さんを頼むぞ」といわれた正行のその後(以下伝承に基づくネタバレあり)



故郷に戻った正行は、美しい内侍と出会う。


二人は


内侍「思ふこと いはで心の うちにのみ つもる月日を 知る人のなき」


心の内にのみ、言えぬ思いを積もらせてきた月日を、知る人はいないのです。

正行「とても世に永らふべくもあらぬ身の 仮りのちぎりをいかで結ばん」


私は、この世にとうてい長く生きるべくもない身。仮の契りをどうして結べましょう。

そして貞和四年(一三四八)、高師直(紫門 ゆりや)・師泰(蓮 つかさ)の兄弟に攻められ、


返らじと兼て思へば梓弓(あづさゆみ) なき数にいる名をぞとどむる

限りを知り 命を知れ。


梓弓とは、入るに掛る枕詞で、死霊や生霊を呼び寄せる時に鳴らす小さな弓の意味。


なき数=亡き数。死者数。


私はこれから生きて帰ることのない戦いに行く。死者の数に入るものとして、名を留めよう。


四条畷の戦いで追い詰められ、弟正時(鳳月 杏)と刺しちがえて死ぬ。享年23歳とも。


ああ、伝承だけでウエクミ節。