”ばさら”=ダンディズム「小林一三の玄孫」も出るのね
婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)に小林一三の玄孫が出るのね(笑)
戯作
『婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)』
作・演出/植田 紳爾
絢爛たる江戸文化が花開いた頃。本所の長屋に、人々から「婆娑羅の玄孫」と呼ばれ慕われる細石蔵之介という男が暮らしていた。
室町幕府設立の立役者でありながら文化芸能に通じ婆娑羅大名と呼ばれた佐々木道誉の子孫で、近江蒲生郡安土を治める佐々木家当主の次男として生まれた蔵之介であったが、母の身分が低い為家名を名乗ることも許されずにいたのだ。
しかし非凡な才を持ち、近隣の子供に学問や剣術さらには歌道や茶道を教えるよろず指南所を営む蔵之介は、さすが道誉の血を引く者として長屋の人々の自慢の存在となっていた。
正義感に溢れ、将軍家の権威を後ろ盾に横暴な振る舞いをする旗本に一矢報いる等、とかく評判の人気者であったが、父に捨てられたとの想いから時折寂寞感を漂わせてもいた。そんな蔵之介のもとに、佐々木家が取り潰しになるという噂が届く…。
波乱万丈の人生を痛快に歩む男の姿を、宝塚歌劇の男役を追求し続けてきた轟悠が舞台上に鮮やかに息づかせる。
婆娑羅(ばさら)は仏典のサンスクリット語に由来があり、「金剛」とも訳されます。金剛はダイアモンドのこと。
轟悠、最後はダイヤモンド!
婆娑羅大名と呼ばれた佐々木道誉とは
佐々木道誉の子孫が、香川県の丸亀京極家の藩主となりました。領民からは評判が良かったそうで、現代でも、地元では「まるがめ婆娑羅まつり」が催され、慕われております。
丸亀藩は、女性が父の仇を討ちたいと願い出たら、公式に決闘を認めたり、
丸亀高等女学校(現県立丸亀高等学校)の生徒たちがフットボールをしている大正時代の絵葉書が発見されたことにより「国内女子サッカー発祥の地」ではないかと言われていたり、(第一次世界大戦中、ドイツの捕虜が丸亀の収容所におり、彼らにサッカーを習った可能性があるらしい)
子孫たちもバサラなようです。
しかし佐々木道誉は、戦前はあまり評判がよろしくありませんでした。
戦前、忠君の鑑と謳われた楠木正成、正行の場合
足利尊氏の大軍が迫る中、勝ち目のない戦に打って出る楠木正成と息子の今生の別れ。
楠木正成:父は討ち死にする。お前は帰れ。
楠木正行:私一人帰れません!父上とお供します!
楠木正成:私が死んだら、世は足利尊氏の思うがまま。
早く大きくなれ。帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ。
母さんを、頼むぞ。
いっぽうそのころ
バサラな佐々木道誉の場合
鎌倉幕府側として、後醍醐天皇を隠岐に護送
↓
鎌倉幕府を寝返り、後醍醐天皇につく
↓
建武の新政に不満を持ち、後醍醐天皇を寝返って尊氏につく
↓
後醍醐天皇の派遣した討伐軍と戦い、死にかけてビビり、また後醍醐天皇側に寝返る
↓
足利尊氏優位とみるや、またまた後醍醐天皇を寝返り尊氏につく
さすがに寝返りすぎでは
まあ、戦国の世においては、内乱となれば戦略的に親子、兄弟があえて分かれて戦うこともあたりまえ。
とにかく君主に忠義を貫くのが偉い!という価値観より、とにかく一族の誰かが生き延びて家名を絶やさないのが偉い!と結構現実主義だったそうで。
佐々木道誉のバサラぶりはほかにも
「バサラ大名 佐々木道誉 乱世を駆けぬける!」
南北朝動乱の時代に、権威をあざ笑い、裏切りと乱暴を繰り返しながら、抜群の美意識と文化力のネットワークで駆け抜けたバサラ大名・佐々木道誉。乱世を生き抜く力に迫る
南北朝動乱の時代に現れたバサラ大名。旧来の権威をあざ笑い、乱暴ろうぜきを繰り返しながら、自分たちの美意識を主張しつづけた男たちだ。
その代表格とされるのが近江の守護大名・佐々木道誉。
門跡寺院の紅葉の枝をとって、トラブルになると焼き討ちにする。
幕府の実力者が花見の宴を開けば、同じ日にもっと派手な宴を開いて恥をかかせる。
好き勝手をやっているようでありながら足利幕府の重鎮として天寿を全うする。その秘密とは?
旧来の権威をあざ笑い、乱暴ろうぜきを繰り返しながら、自分たちの美意識を主張しつづけた男
これってつまり、究極のダンディズムではなかろうか
轟悠、究極のダンディズム 婆娑羅(ばさら)に挑む!