宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「銀ちゃん、そんな顔して笑わないで、殴ってよ」千秋楽感想


ネタバレ感想です。




プレイ

『銀ちゃんの恋』

~銀ちゃん、本日も反省の色なし~

-つかこうへい作「蒲田行進曲」より-


原作/つか こうへい

潤色・演出/石田 昌也


1982年に「直木賞」、1983年に映画版で「日本アカデミー最優秀脚本賞」を受賞した、つかこうへい作「蒲田行進曲」。宝塚歌劇では1996年に、久世星佳主演で初演、2008年と2010年には、大空祐飛主演で再演。異色の題材ながらいずれも大好評を博しました。


自己中心的でありながら、どこか憎めない映画俳優の銀ちゃんが、恋人の小夏や大部屋俳優ヤスなど、個性豊かな「映画馬鹿たち」と繰り広げる破天荒でありながら、人情味溢れる物語が、再び宝塚の舞台に登場致します。




銀ちゃんの恋のほうがホームズよりトライアングル・インフェルノ

蒲田行進曲~エレクトーン演奏~


花の都 光の港 キネマの天地

セットの花に 輝くスター 微笑むところ

カメラの目に映る かりそめの恋にさえ

青春燃ゆる 命は踊る キネマの天地


このお話、「偉大な劇作家つかこうへいによる直木賞受賞作の再演」だから、「現代においては不適切な表現がありますが、執筆された時代背景や作者が故人であることを鑑み」そのまま上演できますが、


令和の時代に新作として世に出すには、コンプライアンスとか、ポリティカルコレクトとかをぶっ飛ばしていますよね💦


銀ちゃんは取り巻きにチヤホヤされていなければ気が済まず、同期の橘の活躍に焦り、すぐに子分をぶん殴り、若い恋人を作って自分の子供を身ごもった小夏を子分のヤスに押し付ける。


令和の世ならこの時点で文春砲が炸裂して、銀ちゃんはスターでいられなくなると思う・・・


銀ちゃんも大概ですが、ヤスだって、高嶺の花の憧れのスターだった小夏と結婚できるのはまんざらではないし、銀ちゃん軍団にいることで入ってくる仕事もあるでしょう。


一世を風靡した女優である小夏も、年齢による限界を感じていて、田舎に帰ってシングルマザーをするよりは、ヤスとくっつくほうが、まだ映画の世界や銀ちゃんと、少しでもつながりを保っていられる。


単純な加害と被虐の構図でもない三角関係は、銀ちゃんが小夏とよりを戻そうとして断られ、小夏がヤスと結婚した時から、


「銀ちゃんの恋」は「銀ちゃんの恋は不倫」に変わってしまう。


銀ちゃんはヤスに「銀ちゃん、そんな顔して笑わないでよ。昔みたいに俺を殴ってよ」と言われ、


ヤスは小夏との結婚は、高嶺の花のアイドルから「格差婚」の現実を思い知らされることになり、


寂しさを隠そうと笑い合えば笑い合うほど、3人は離れていく。


ホームズよりこっちがよっぽどトライアングル・インフェルノ(地獄の三角関係)!



あの客席ぶん投げラスト、正直どう思います?



個人的に「蒲田行進曲」は、伝説のメタ的な「これはフィクションです」ラストのおかげで、時代を超えた古典になったと思っています(笑)



「蒲田行進曲」の登場人物って、カッコイイ「スター」に憧れる、「映画バカ一代」を行動原理に生きている人たちですやん。


ぶしつけな例えですけれども、「映画」を「宝塚」に置き換えたら、銀ちゃんとヤスと小夏を、柚香さんとか水美さんとかあの方とかに置き換えたら。


ヤスの「銀ちゃんには、輝くスターでいてほしいんだよう」の想いで階段落ちを引き受ける姿、ねえ。


宝塚は虚構を生きる「スター」タカラジェンヌと、会に入ったり、想いをSNSにぶつけたりしちゃうファンの「共犯関係」で成り立っていますけど、


「蒲田行進曲」って、贔屓への100%の虚構とも、100%の本気ともつかぬ思いをぶつけあう、傍から見たらおもろうてちょっと哀しき「わたしたち」への賛歌ですやん。