宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

聖乃初バウを見て感じた、未来の花組トップへの懸念


TAKARAZUKA REVUE official promotional video "PRINCE OF ROSES"


聖乃あすかの男役としての真ん中力で、難あり脚本をねじ伏せた感




『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』

作・演出/竹田 悠一郎


薔薇戦争(1455~1485年)-ランカスター家とヨーク家が国内の諸侯・騎士を二分して権力闘争に明け暮れた、イングランド史におけるターニングポイントとなったこの戦いは、ランカスター家の女系血筋を引くヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)が最終的に勝利し、テューダー朝を開き、近代イングランドの礎を築いていく。


シェイクスピア戯曲でも有名なリチャード3世とヘンリー8世の時代に挟まれ、これまで謎に包まれた人物とされてきたヘンリー7世。ランカスター家(赤薔薇)の血を引く者として、ヨーク家(白薔薇)のエドワード4世、リチャード3世との争いの中で、母の想い、仲間の期待を自らの生きる使命とし、イングランドの平和を願い、王冠を戴くべき男としての運命に挑み続けた姿を描く、意欲作。


この作品は、演出家・竹田悠一郎の宝塚バウホールデビュー作となります。


3桁代ジェンヌのバウ主演一番乗りとなった、聖乃あすか『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』をスカステで拝見いたしました。


バウホールは役者と演出家の「勉強公演」であることは承知しておりますが、正直、竹田先生の脚本の出来については辛口評価です。


王位継承を巡る物語なのですが、物語を動かす原動力はグロスター公( 優波 慧)にあって、聖乃さん演じるヘンリーは亡命先で潜伏したまま、本筋に絡めない。


終盤のグロスター公との一騎打ちまで、歴史の表舞台にリモート参加しているようなもどかしさがある、厄介な立ち位置なのですが、


主役が動けない台本で、聖乃さんは圧倒的な「真ん中力」で、この坊やがランカスター家の最後の希望として担ぎ上げられたこと、本人も覚悟を持って神輿に乗ったということを観客に「だろうなあ」と納得させたと思います。


中卒の当時研7にして、腹据わっているわー。


聖乃あすかは男役として早熟型?

ちょっとだけ気になったのは、今後学年が上がっていく中で、外見の男役像と内面の男役芸のすり合わせ方をどうするか。


聖乃さん、この公演当時中卒の研7ですが、既に学年に見合わぬ貫禄がある。生物学でいう、幼形の面影を残したまま成熟したネオテニー風味がありません?


彼女はいわゆる早熟な「ピークが早い」男役かもしれない。



花組はこれからどのように永久輝さんに繋ぐのかに注目が集まっていますが、永久輝さんが短期とは思えない。


聖乃さんがトップになるとしたら、永久輝さんの次ではなく、組替えの可能性もあるかも?


竹田先生、客は宝塚に歴史の勉強に来ているのではないですよ


※ここからは竹田先生への辛口コメントです。


竹田先生、開幕早々、ランカスターだ、ヨークだ、ヘンリーだ、リチャードだ、クラレンスだ(以下略)開幕5分でストーリーを追うのをあきらめた観客もいらっしゃると思いますよ。


「2時間でわかるばら戦争」にすらなっていない。


え、Wiki読んだらわかる?




薔薇戦争(ばらせんそう、英: Wars of the Roses)は、百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱であり、実状としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものと言える。


また、フランスのノルマンディ公2世ギヨームがイングランドを征服したノルマン・コンクエストの後、アンジュー帝国を築いたプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争でもある。


最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。

Wiki、この調子でつらつらと数万字ありますよ。


たぶん読者さんね、似たような名前のなんちゃら〇世がわらわら出てきて、Wiki解説のほんの冒頭のこの引用部分だけでも目が滑る人いますよ。


客は宝塚に歴史の勉強に来ているわけではないと思うんですよ。


大方の日本人にとって、ランカスターとヨークのどっちが勝つかなんて、北朝と南朝のどっちが勝つか以上にどうでもいいんですよ。


本作の登場人物のほとんどが、歴史を説明するための駒になっている。これでは、ひたすらあらすじ書きで枚数をかせいで、「本を読んでどう思ったのか」が伝わらない読書感想文ですよ。


私たちが見たいのは、歴史のあらすじではない。先生が歴史に、そこで生きた人間に、どんな夢(あるいは悪夢)を見たのかを見たいのです。


私が『PRINCE OF ROSES-王冠に導かれし男-』で、ほとんど唯一印象に残ったのは、グロスター公(リチャード3世)が、自分が殺した亡霊に祟られるシーンですけれど、


あれシェイクスピアの「リチャード3世」の、リチャード3世が手にかけた者たちの亡霊(10人!)に「絶望して死ね」“Despair, and die!”と罵られるシーンですよね。

【劇場版】『嘆きの王冠〜ホロウ・クラウン〜』予告編



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シェイクスピアが生きた時代は、ヘンリー7世の孫にあたるエリザベス1世の治世で、当時の観客にとってばら戦争は祖父母世代のお話でしたから、現代の日本の観客より相当予備知識はあったでしょうが、


シェイクスピア劇「リチャード3世」の冒頭では

さあ、俺たちの 不満の冬は終わった、

栄光の夏を呼んだ太陽は ヨークの長男エドワード。

我が一族の上に重く垂れこめていた雲は 大海原の底に深く葬られた。


どうせ二枚目は 無理だとなれば、思い切って悪党になり
この世のあだな楽しみの一切を憎んでやる。


二人の兄クラレンスと王の仲を裂き、お互いに死ぬほど憎み合うよう
仕向けてやる。

                    翻訳 松岡和子

と、ここまでバーンと言い切っているから、観客は「ああ、この芝居は、主人公が不埒な悪行三昧を演じる様を堪能する芝居だな」とわかって物語に入り込めるわけですよ。


竹田先生、宝塚の客席は勉強の場ではなく、客は娯楽に来ているわけですから、「客は予習してきてあたりまえ」の前提で作劇するのは、大衆演劇の座付き作家として問題があると思います。


(組プロデューサーも、「この脚本はわかりにくい」と助言してほしかったです)