宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『哀しみのコルドバ』感想 あのラストは反則だと思う


この観劇感想は、ラストの核心に触れるネタバレを含んでいます。






セリフがわからなくても、色彩と匂いとラストの衝撃は覚えている









「スペインで、闘牛士と初恋の相手が全てを捨てて愛しあい、駆け落ちしようとしたら、2人が実は兄妹で、絶望した闘牛士が牛に突かれて死ぬ話」


凄い話だ。昔山口百恵さん主演のドラマで、似たような話があったような気がしますが。


全国ツアーで、宝塚について全く知らない方が、いきなり「哀しみのコルドバ」を見たらどう思うのでしょうね。



全国ツアーの会場には、その観劇が人生で一度きりの宝塚体験になる方もいらっしゃるでしょうが、


石畳に時の流れが刻まれた、鄙びた古都コルドバという地名のイメージ。


闘牛というスペイン独特の風俗から舞台に漂う、土着の野性的な匂い。


そしてアンダルシアの強烈な陽光と、影と、赤い血の色彩を表現する照明。




たとえ宝塚メイクの見分けがつかなくても、音響が悪くてセリフが全部聞き取れなくても、


このスペインの風土の光と、色彩と、匂いに彩られた人間ドラマの衝撃は、子供のころ読んだギリシャ神話の一挿話のように、一生忘れられないと思いますよ。


お芝居は印象に残ったもの勝ち。この強烈なインパクトが、柴田先生の作品が全ツで地方民に喜ばれる理由なのかもしれません。





ラストの演出は血の婚礼


血が呼び合った宿命的な業に苦悩し、エリオが自らにくだしたラスト。


エリオが事実を知った後、なぜエヴァにそのタブーを伏せて、結婚しよう、家を買おう、と言ったのだろう。


なぜ、あの時エヴァは泣いたのだろう。


なぜ、エヴァを闘牛場に呼んだのだろう。




カトリックでは自殺したら、天国へは行けない。でもあのラストなら、エリオは殉職した英雄として天国へ行くのでしょう。


そこでエヴァを待っているのかな。


ラスト、エリオの闘牛シーンに「牛役のダンサー」は出ない。


広い舞台にエリオ一人、向かってくる牛は運命の比喩か。あるいはタブーを犯したエリオへ制裁を与える神か。


子どもの頃見た時はわからなかったけれど、大人になった今あのラストは、


エリオは、自暴自棄というよりは、闘牛場を式場に、罪を血で贖い、血の婚礼を挙げたかったのでは、と思いました。