菩薩少女まどか☆忠臣蔵『元禄バロックロック』感想
※がっつりネタバレ感想です。ついでに「魔法少女まどか☆マギカ」もネタバレしています。
『元禄バロックロック』宝塚大劇場千秋楽の配信を視聴いたしました。
2時間有休を取ってスマホの小さな画面で見ていただけなので、見逃し、聞き逃しなど多々ありまして、今回は忘備録的なメモ書きです。
『元禄バロックロック』は江戸のカブキ精神の正統な後継者である
公式あらすじ
『元禄バロックロック』
作・演出/谷 貴矢
花、咲き乱れる国際都市、エド。そこには世界中から科学の粋が集められ、百花繚乱のバロック文化が形成されていた。
元赤穂藩藩士の優しく真面目な時計職人、クロノスケは、貧しいながらもエドで穏やかに暮らしていたが、ある日偶然にも時を戻せる時計を発明してしまい、人生が一変する。
時計を利用し博打で大儲け、大金を手にしてすっかり人が変わってしまったのだ。我が世の春を謳歌するクロノスケであったが、女性関係だけは何故か時計が誤作動し、どうにも上手くいかない。
その様子を見ながら妖しく微笑む女性が一人。彼女は自らをキラと名乗り、賭場の主であるという。クロノスケは次第に彼女の美しさに溺れ、爛れた愛を紡いでいくのだった。
一方、クロノスケの元へ、元赤穂藩家老クラノスケが訪ねてくる。コウズケノスケとの遺恨により切腹した主君、タクミノカミの仇を討つために協力してほしい、と頼みに来たのだ。だがそこにいたのは、かつての誠実な姿からは見る影も無くなってしまったクロノスケだった。
時を巻き戻したいと嘆くクラノスケに、時計を握りしめ胸の奥が痛むクロノスケ。だが、次の言葉で表情が一変する。コウズケノスケには、キラと言う女の隠し子がいることを突き止めたと言うのだった・・
これぞネオ歌舞伎、新しい国民劇「忠臣蔵」
谷 貴矢先生、すごい!これはブロードウェイでも見られない!
小林一三は、宝塚を歌舞伎を洋風化した「新しい国民劇」として創ろうとしたそうですが、
歌舞伎といえば「仮名手本忠臣蔵」。『元禄バロックロック』は、江戸の観客が「仮名手本忠臣蔵」初演を見た時の「ひゃあ、こいつはすげえ!」というオドロキを現代の観客にスライドさせた!
『元禄~』は今の松竹が製作して新橋演舞場でやっている「新作歌舞伎」よりも、江戸時代のカブキのバロックでロックな、歪んだ真珠のような傾き(かぶき)と輝きに満ちている。
あなたは江戸の歌舞伎作者の戯作スピリッツの、正統な後継者だ!
この作品、宝塚ファン、ミュージカルファンのみならず、歌舞伎ファンに見ていただいて、
「日本人は赤穂事件をいかに受容してきたかー『仮名手本忠臣蔵』から『元禄バロックロック』まで」みたいな感想をUPしてください!読みます!
「仮名手本忠臣蔵」と「元禄バロックロック」、実はどっちも同じくらいカブキでカゲキ
今偉大な古典として歌舞伎や文楽で上演されている『仮名手本忠臣蔵』は、最初から古典だったわけではない。
当然初演された時があり、その時代の観客に「わああ、この忠臣蔵は面白いなあ」と思わせるチカラがあったので古典になった。
そもそも赤穂事件を劇化したのは「仮名手本忠臣蔵」が最初ではなくて、赤穂事件の直後に早速上演され、3日で上演中止になるほどでした。
その後も近松門左衛門など名だたる劇作家により舞台化され、「仮名手本忠臣蔵」の初演はなんと赤穂事件から47年後のことでした。
浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)の『仮名手本(かなでほん)忠臣蔵』の略称。近年では赤穂(あこう)浪士の仇討(あだう)ちを題材にした戯曲・小説類の総称ともいえる。
浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷(にんじょう)は、事件の翌年1702年(元禄15)3月、早くも江戸・山村座の『東山栄華舞台(ひがしやまえいがのぶたい)』という小栗判官(おぐりはんがん)の芝居に脚色され、
事件落着直後の1703年2月16日には江戸・中村座で義士討入りを暗示した『曙曽我夜討(あけぼのそがのようち)』を上演し、3日間で中止を命ぜられたという。
古典の「仮名手本忠臣蔵」の詳細についてはこちらから
そもそも、古典の「仮名手本忠臣蔵」って、赤穂事件の史実にのっとった格調高い立派なお話ではないのです。
・まず時代が高師直(こうのもろなお)がいる太平記の時代になっている←江戸時代ちゃうんかい!
(江戸時代を舞台にして、幕府の検閲で上演中止になってはかなわないからね)
・松の廊下の原因は、吉良上野介っぽい高師直が、浅野内匠頭っぽい塩冶判官(えんやはんがん)の妻と不倫しようとしていたから!
(史実とは異なります。そもそも太平記の時代の話だし)
・現在歌舞伎でよく上演されるのは、松の廊下とか討ち入りよりも、討ち入りに参加していない早野勘平の恋とか、大石内蔵助っぽい大星由良之助の息子のロマンスの話。←本筋はどこに行った?
『元禄バロックロック』では、史実では討ち入りした浪士の一覧に名前が無い「クロノスケ」と、吉良の娘のロマンスがメインです。
「仮名手本忠臣蔵」でも、実際は討ち入っていない浪士とか、討ち入った浪士の子供のロマンスが主役で、討ち入りの背後にいた人々の悲劇を通じて、赤穂事件を浮かび上がらせる構造になっている。
18世紀後半でさえ、かなりぶっ飛んだ話として受け取られたはず。かなりショッキングだったと思うんです。
まあ、当時の観客にとっては、「忠臣蔵」とは何度も何度も上演されて、すっかりおなじみの話で、観客の興味は史実に沿っているかより、定番の話をどのような解釈、「趣向」で見せてくれるのか、にありました。
「元禄バロックロック」の「趣向」はタイムリープ=輪廻からの解脱?
イマドキ人気の恋愛シミュレーションゲームでは、主人公の選択によってストーリーが分岐し、プレイヤーはバッドエンド回避のためにセーブした時点に戻って、ハッピーエンドを求めて何度もゲームをやり直すことができます。
アニメの世界でも、ゲームならではの「同じ時点に戻って何度もやり直す」という設定を生かして、主人公たちが時を巻き戻してやり直し続ける「タイムリープもの」というジャンルがあります。
この「元禄バロックロック」の「趣向」は、忠臣蔵の世界にイマドキの「タイムリープもの」の世界観を持ち込んだことだと思います。
で、今回の「元禄バロックロック」のお話のキモは、時を巻き戻す時計を完成させたのは主役であるクロノスケだと思っていたら、その時計は実は機能していなくて
時を巻き戻す時計を開発したのは、コウヅケノスケの娘のキラだった、というところにあります。
キラはコウヅケノスケの屋敷に軟禁されていたところを、討ち入りの準備のために時計職人の振りをして屋敷に潜入したクロノスケと恋に落ちる。
キラは討ち入りでコウヅケノスケもクロノスケも皆亡くなってしまった後、時を巻き戻して討ち入り回避エンドにしたい!と思って、クロノスケにもらった時を巻き戻す時計の設計図を基に開発に励み、ついに時を巻き戻す時計を完成させるのです。
生類憐みの令の理由 と回る、回るよ時間は回る♪
「仮名手本忠臣蔵」には出てこないけれど、「元禄バロックロック」では大活躍のツナヨシこと徳川綱吉。綱吉といえば「生類憐みの令」。
「生類憐みの令」といえば、蚊を殺したら島流し、犬を殺したら死刑で有名な天下の悪法。なんでツナヨシはこんな法律を作ったのか?
昔よく言われた俗説は、
徳川綱吉に世継ぎが生まれないことを心配した桂昌院が、えらいお坊さんに相談したところ、「将軍は前世で殺生したため現世で子どもに恵まれない。世継ぎが欲しければ動物を大切にしなさい。特に戌年(いぬどし)生まれの徳川綱吉は、犬を大切にしなさい」と助言されたため
というもの。
現在はこの説は生類憐みの令の施行とは関係ない話とされていますが、元禄時代の日本人には、前世の報いとか、輪廻転生とか、
時間とか生命は一直線ではなく、回る、回るよ人生は回る♪という感覚は馴染みやすいものだったのかもしれません。
ヒロインが「まどか(円)」で、時間は回ると言えば・・・有名なアニメがあります。
趣向:菩薩少女まどか☆マギカ
願いを叶えた代償として「魔法少女」となり、人類の敵と戦うことになった少女たちに降りかかる過酷な運命を、優れた魔法少女となれる可能性を持ちながらも傍観者として関わることになった中学生・鹿目まどかを中心に描く。
『魔法少女まどか☆マギカ』とは、悪魔と契約したファウスト博士のような、女の子が願いを叶えた代償として「魔法少女」となり、人類の敵「魔女」と戦うお話。
アニメでは実は時間がリープしていて、主人公は鹿目まどかであるが、実はまどかは何度も死んでいる。
主人公が何度も死ぬってどういうことかというと、実は暁美 ほむら(あけみ ほむら)という時間遡行能力を持った魔法少女により、まどかは何度も死んでは、また時間を巻き戻して魔女と戦い、また死んで、のリープを繰り返していた。
物語のエンドは、まどかが「円環の理」という、戦いを止められない魔法少女と魔女を救うために、自らを犠牲にして菩薩のような存在になる、「輪廻転生からの離脱」的なことになるのですが、
谷先生、ひょっとして意識した?
『元禄バロックロック』でも、ラストは意外な形で討ち入りを回避できない無限ループから解放され、
史実で大石内蔵助たちが最初願えどもかなわなかったエンド(現代人からみればまあ穏便な落としどころ)に落ち着くことになります。
谷先生は、元禄時代に起きた実話をもとに、様々なフィクションを取り入れ紡がれてきた忠臣蔵を、様々な趣向で舞台化して観客を喜ばせてきた江戸の戯作者たちのように、
イマドキのアニメ・ゲーム的な要素を物語の「タネ」にして現代に蘇らせた。
まとめ
江戸時代、討ち入りから47年後の寛延元年(1748)に新作として上演された「仮名手本忠臣蔵」を見た時の観客の「わあ、すげえ」という感動を、時を超えて現代の観客にスライドさせた、
という意味で、『元禄バロックロック』は江戸のカブキ精神の正統な後継者だと思います。