バロンの末裔感想 韓流財閥メロドラマ?愛の不時着?
#バロンの末裔感想
『バロンの末裔』をライブビューイングで鑑賞いたしました。
思いっきり結末までネタバレ感想です。
まだ未見の方は、ご注意ください。
ネタバレ感想編まで間を空けるため、雑談でも。
先日大阪に出張いたしまして、お土産を探しておりました。
いわゆる銘菓って、リアル地元民が買って食べるものと、ほぼ観光客しか買わない土産専用商品、みたいなものがあるじゃないですか。
大阪では「みるーく饅頭 月化粧♪」というお菓子があって、地元の方もよく購入されているらしい、と知り、新大阪の駅で家族や職場へのバラマキ用に大量購入したんですよ。
で今日、ライブビューイングのために地元の映画館併設のイオンに行ったら、「みるく饅頭月化粧」を売っていた。
とっても美味しいお菓子でしたので、大阪で買ったことに何の不満も無いのですが、なんだかなあ。大阪でしか買えない別のお菓子を買いたかった気もする。
『バロンの末裔』あらすじ
スコットランドの小さな村に、男爵家の兄(ローレンス)と弟(エドワード)と、伯爵家の女の子(キャサリン)がいた。
兄弟はどちらも女の子を好きだった。女の子は弟が好きだった。
ある日、3人は洞窟に冒険に行った。
お兄ちゃんはコウモリに驚いて逃げて行った。
女の子はけがをして、弟におぶわれて帰った。
「あなたは何?私のお守役?」
でも弟は、女の子のナイト(騎士)にも、男爵(バロン)の当主にもなれなくて家を出た。
兄は銀行と会計士の勧めに乗って、穀物相場に手を出して、すってんてんになり、病気で寝込んでしまう。
先祖代々の領地の危機に、軍人になっていた弟は故郷に帰って来た。
そこでは、女の子は大人の女性になって、兄と婚約していた。
「だって、お兄様と結婚すれば、兄嫁として貴方と繋がりを保っていられると思ったから」
「兄との婚約を解消してくれ。貴方は兄と結婚しても幸せになれない」
ざっくり言うと、スコットランドの没落していく貴族階級の、地獄の三角関係。
管理人のファミリーヒストリー ものすごくスケールの小さい『村の地主の末裔』
現代の日本人には遠い異国の上流階級の、男の心を振り回すビッチの話。
なんか、韓流財閥ものメロドラマでありそうな話ですね。
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でもこういった話、管理人には全く遠い話でも無く。
私の祖母は、香川県の田舎の小さな村の出身なのですが、祖母の実家は戦前はその村では一番の地主だったそうです。
戦前に祖母は女学校→高松の師範学校に通わせてもらい、兄弟たちは神戸の大学に進学したそうで、都市部では女学校や大学への進学は普通だったでしょうが、田舎ではお嬢さま育ちのほうでしょう。
そして地主の子は、近隣の村の同規模の地主の子とお見合い結婚するのが普通でした。
戦争で兄が死んだら、未亡人となった兄嫁と弟が結婚した、という話もいくつもありました。今思えばすごい話ですが、当時はあんまり自由恋愛という概念は無く、結婚はまず家の存続のためでした。
しかし敗戦により、GHQの政策で華族や宮様のほとんどは身分をはく奪され、地主は土地を没収されました。
田舎の地主は、もともと農民ですから、残った田んぼを耕すなり、大学に行って取った資格を生かして教師や会計士として働けばよかったので、そんなに落ちぶれたというほどでもなかったのでしょうが、
華族や旧宮様は雲の上からいきなり俗世に落っこちたわけで、家屋敷や貴重な美術品を手放して苦労した方も多かったそうです。「身分」というものへの執着やプライドは、庶民にはちょっと想像もできないほど重いものだったのでは。
うちの祖母ですら、TVでマッカーサーの記録映像が流れるたびに「GHQに田んぼを取られた」とずっと言っていましたからねえ。
現代人からみれば、ツッコミどころだらけの話である。
弟は女の子に思いを告げずに家を出て、女は男爵家の家督を相続した兄と婚約する。現代人から見れば、弟が女の子に思いを告げていれば、展開は変わったのでは?とも思うのですが。
村の地主ですら、領地とか家柄とかにこだわっていた時代。男も、女も、家柄や身分や家督や爵位といったものから完全に自由にはなれなかったのでしょう。そもそも一卵性双生児だから、顔は一緒だし(笑)
想いを確かめ合って、女は「婚約は解消しません。あの人を裏切れない」と言い、弟はインドで買った指輪を渡し、その手にキスし、最後のダンスを踊る(つまり求婚)。
兄だって、とっくに気づいていて、何知らぬ顔をして、女と夫婦生活を送ってゆくのだろう。
それは本当に誠実な結論なのか?そんな仮面夫婦を続けるよりも、いっそ、婚約を解消して、弟と駆け落ちしたほうが双方にとって誠実なのでは?と思うこともある。
哀しみは石炭のように
個人的にこのお話は、あまり辻褄にこだわらずに、ジャズの即興演奏の掛け合いの緊張感を楽しむように見ていました。
「雉撃ちの場」なんて、韓流ドラマですよね。
このお話は唐突に「石炭」が出てきて解決に向かうのですが(笑)
長い年月の間に降り積もり堆積した炭素が濃縮してできた石炭が、その蓄積したエネルギーを熱として放出するように、
「雉撃ちの場」を見ていると、男と女が、長年降り積もり、堆積し、黒いダイヤとなった思いをぶつけあい、そのやるせなさを生きるエネルギーに変えていく過程を見るようでした。
ブンガクとして、道徳としてどうかとは思うが、宝塚の男役と女役の芝居としては見ていて面白かったです。ニンゲンは、週刊文春の編集長に褒められるために生きてはいないのだ、という業の肯定があって。
蛇足 『バロンの末裔』はSDGs(持続可能な開発目標)の話?
今なぜ『バロンの末裔』を再演するのでしょうね?最初は宙組のプロデューサーが、「併演のショーがアクアヴィーテでウイスキーだから、ウイスキーと言えばスコットランド!」という連想ゲームでもしたのか?と思っていたのですが(笑)
このお話、借金まみれの男爵家の領地から石炭が発見され、その採掘権を切り札に、「だが環境や景観を破壊してまで採掘はしない。屋敷をホテルに改装し、観光業を営んでいく」という結末にいたります。
散りぢりになる予定だったお屋敷の召使たちも、ホテルの従業員に配置転換して故郷で継続して働いていくことになる。
女は「私たち、仕事があるのよ」という。
都合のいい結末だな、とも思いますが。
最近、SDGs(持続可能な開発目標)というスローガンをよく聞くじゃないですか。「緑の環境を守ろう」とか、「働きがいも、経済成長も」とか。
『バロンの末裔』は、1996年に既にSDGsの理念を先取りしていたのでしょうか?
アクアヴィーテ
アクアヴィーテの振付「ANJU」のタンゴの場面、男役ばかりの酒場で真風さんが煙草を奪い合い、紫煙を吹きかけあうシーン。
小池先生が宝塚版「ワンス~」では「無残にむしり取られた深紅のバラの花びら」ですみれコード的に暗喩しているのだろう血と性と阿片の匂いを「つまりこういうことでしょ」と5分で魅せた男役の身体の向こうに、かつての安寿さんの姿が見えるようで。