宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

江戸時代に”一人旅の女”を疑わない男、夢介って



小田原・庄屋の息子・夢介は、父親から“通人”となるため千両を使っての道楽修行を言い渡され江戸へ向かう。


道中、“おらんだお銀”と呼ばれる女スリに懐を狙われる夢介だったが、夢介の朴訥で底抜けな優しさに触れたお銀は一目惚れ、押しかけ女房となり二人は江戸で奇妙な同棲生活を始める。


夢介に相応しい善い女房になろうと努力するも元来気性の激しさを抑えきれないお銀。遊び人飛脚屋の若旦那・伊勢屋総太郎ら個性豊かな江戸の人々が巻き起こす騒動を、夢介は“金と優しさ”で解決して行く。


善意の塊のような夢介との出会いが人々にもたらすものとは、そして夢介の道楽修行の結末は?


そもそも江戸時代に女一人旅ってあり?


父親から“通人”となるため千両(現在では数千万~数億)を貰って、”道楽修行”のため江戸に向かう夢介。


江戸への道中で、一人旅の女性“おらんだお銀”と意気投合するも、宿でお銀に懐を狙われる。


・・・


素朴なギモン


江戸時代に、女性が一人旅ってありえるのか?


タイムスクープハンター「女たちの関所超え」より


今回の取材対象は、江戸時代後期に伊勢参りの旅をする女性たち。3人はみな既婚者で、当時の風習として歯を黒く染めていた。


難関が関所越え。「入り鉄砲出女」といわれ、江戸を出る女性たちには厳しい関所での取り調べが待っていた。


ひとりの手形が偽造とわかり、3人は関所を通過できない。宿で裏道を紹介されるが、はたして? 


「自由な旅がしたい!」という人間の本望にめざめた女性たちのトラブル連続の旅に密着ドキュメント。


江戸時代、庶民の自由な旅行は建前では禁止だったのですが、世の中は建前とウラがあり、「正当な理由」があれば旅に出るのは可能でした。


一番確実な理由は「お伊勢参り」「金毘羅参り」など神仏参り。



金毘羅船々 (こんぴらふねふね)



お上も普段から庶民に「神仏を大切に」と言っていますから、


「私は伊勢神宮に参拝し、徳川様の治世の安泰と、豊作になってたくさん年貢を納められるよう祈ってきます」


とか言われれば、だめとは言わなかったんですね。


実際に旅行するのはやはり男性が多かったのですが、女性旅行者もいたらしいです。


正規の手形で旅に出かけるためには、夫の承諾はもちろん、町の名主から証明書を発行してもらい、奉行所からの許可と、藩や幕府御留守居役から手形を発行してもらう必要がありました。


関所では、江戸にいる大名の妻が抜け出さないよう、女性の旅人は厳しくチェックされて、なにかと面倒。


そんな当時でも、子供がある程度手を離れた中年女性が、仲の良い友人と女2人旅、くらいは、わりと珍しくもない話だったそうです。


まあ、当時の女性は早くに結婚し、若いうちはひっきりなしに妊娠出産、乳飲み子を抱えていますし、何かと物騒ですし、ねえ。


そんな時代に、オランダお銀のような一人旅の若い女性が近づいてきたら・・・


夢介、疑え。