ところでトンチキって何だ?「柳生忍法帖」はトンチキ?
※別に柳生忍法帖がトンチキだと言いたいわけではありません。
ムラ、新公、入り出、路線、羽が生える、風が吹く・・・宝塚は、様々な業界用語に溢れています。
もちろん宝塚は陸の竜宮城のように外界とは隔絶された場所で、巫女たちが聖なる儀式を行っているわけでもなく、ファンも東宝ミュージカルファンやジャニーズファンなどと掛け持ちしている方も多いので、
そっち界隈の業界用語が、いつの間にかヅカファンの間でもなんとなく使われることも多々あります。
最近、ヅカ界隈のSNSで、作品の感想で「トンチキ」というワードをよく見かける気がします。
「トンチキ」って何?
辞典には
① ぼんやりしていて、気のきかないこと。また、その人。のろま。とんま。まぬけ。
② 軽はずみな人。あわて者。文政・天保(一八一八‐四四)の頃に上方で流行したことば。
[補注]「とんちき」の「とん」は「とんま」の「とん」で、「ちき」は「いんちき」の「ちき」などと同じ接尾辞と考えられる。
「とんま」のトンに「いんちき」のチキ。辞典的な意味は、あんまりいい意味では無さそうですねエ。
でもジャニーズファンの間では、別にこきおろす意図で「トンチキ」を使っているわけでもなさそうです。
トンチキのルーツはジャニさんにあり?
辞書を引くと、「とんちき」の意味は「とんま、まぬけ」とある。ただ、トンチキソングと言う場合、単にネガティブな意味合いでは使われない。そこには「愛すべき」というニュアンスが強く入ってくる。
「奇妙でちょっと聞いただけでは意味不明だが、なぜか惹かれ、クセになる曲」とでも言ったらいいだろうか。
ここでポイントになるのは、「ねらっていない」ことである。あくまで本人たちは真面目なので、聴く側は「?」となりながらも妙に納得させられてしまうのがトンチキソングだ。
この記事で例に挙げられているのは、懐メロだと少年隊の「デカメロン伝説」
高校で世界史Bを履修した方なら、「デカメロン」といえばイタリアの作家ボッカチオによる名作文学だと習いますね。
当時管理人はまだ高校へ進学していなかったので、デカいメロンが収穫された伝説の歌だと思っていましたけどね。
強い英雄の伝説とか、伝説の美女でなく、”デカいメロンの伝説”って・・・
で、聞いてみたらいきなりいきなり「ワカチコ!」で、
”恋人は見つめ合って 伝説を創るよ♪
ああデカメロン oh 恋物語♪ 10日間だけじゃ 語れやしない♪”
ところで、メロンは?
世界文学のほうの「デカメロン」は、ペストが荒れ狂うフィレンツェで、郊外の丘陵に囲まれた山荘へ難を逃れた10人の男女が、現実世界の憂さを晴らすため、10日にわたって各人が一話ずつ物語をすることになる、という千夜一夜物語のような枠組みの短編集なので、
実は「デカメロン伝説」は世界文学の古典の「デカメロン」の世界を下敷きにした教養溢れる歌詞だったのですね。
・・・
ジャニさーん、秋元康せんせー、当時のファンの9割以上を占めた中高生世代には、たぶん伝わっていません!
ここが「トンチキソング」のキモですね。シュルレアリスムみたいに「作り手が狙って常識を解体して客を挑発する」のではたぶんなくて、
あくまで本人たちは真面目なのですが、聴く側には全く伝わっておらず「?」となってしまう。
歌謡曲は、いわば和洋折衷の極みのようなジャンルである。日本的な情感を表現するのに西洋のポピュラー音楽の要素を大胆に取り込み、独自の世界を作り上げた。
ある意味、トンチキソングにはそんな歌謡曲的折衷のエッセンスが凝縮されている。歌詞のなかで一見まったく無関係なもの同士が出会い、アイドルはそれを一生懸命真面目に歌い踊る。
脈絡なくドバイのことを日本のアイドル歌手が歌い、恋愛のことがいきなり地球の歴史に結びつく。そんな日常と非日常のシュールな出会いが、楽曲の唯一無二感を生む。それを私たちは「トンチキソング」と呼んで愛する。
「柳生忍法帖」と「エル・ハポンーイスパニアのサムライ」どっちがトンチキ?
トンチキとは、「一見全く無関係なもの同士が出会う、日常と非日常のシュールな出会い」
この定義でいくと、「柳生忍法帖」は妙な幻術とかが出てきますが、そこはタイトルに「忍法」とあって、タイトルどおりチャンバラで怪しい術使いと戦っているので、まあトンチキというよりは、展開が端折り過ぎでよくわからない作品、かな。
まとめ:「柳生忍法帖」はトンチキではない
「エル・ハポン~イスパニアのサムライ」は・・・いちおう史実に元ネタがあるとは言え、サムライがイスパニアに行くチャンバラ時代劇は、「一見全く無関係なもの同士が出会う、日常と非日常のシュールな出会い」にほかなりませんね。
まとめ:「エル・ハポン~イスパニアのサムライ」は確かにトンチキ