宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

「心中・恋の大和路」感想





「心中・恋の大和路」ディレイ視聴感想文です。


あらすじ



大坂・淡路町の飛脚問屋亀屋(かめや)の養子忠兵衛は、新町槌屋(つちや)の遊女梅川となじみを重ね金に窮し、友人の丹波屋八右衛門(たんばやはちえもん)に借金50両を融通してもらう。


八右衛門は忠兵衛の将来を案じ、新町の揚屋で遊女たちに一件を披露し、廓(くるわ)から彼を遠ざけようとする。


しかし、偶然廓に来て立ち聞きした忠兵衛は、かっとなり侍屋敷に届けるべき為替金の封印を切って、50両を八右衛門にたたきつけ、残りの金で梅川を身請けする。


忠兵衛は梅川とともに故郷新口村(にのくちむら)へ落ち延び、実父孫右衛門によそながら対面し、裏道から逃げようとしたが・・・


「心中・恋の大和路」のあらすじは、上記のとおり近松門左衛門の原作「冥途の飛脚」をほぼそのまま踏襲しています。


心に残ったところ


忠兵衛は愛着障害?


忠兵衛は大和(奈良県)の裕福な庄屋の息子として生まれたが、継母に邪険にされて育ち、大坂の飛脚問屋の養子となりました。


田舎過ぎて、お金があっても使う場所があんまりない地元から、カネさえあれば何でも買える天下の台所大坂に出て、毎日自分の生涯年収を超える額の他人の金を扱うようになって、何かのスイッチが入った忠兵衛。


遊郭に行けば、女も買えてしまうのだ。


金があれば、女を買える。


金が無ければ、愛しい女を買えない。



幼少期継母に邪険にされ、愛されなかった忠兵衛。


梅川に過剰なまでに執着し、人の忠告に耳を貸さず、それどころかカッとなって逆上する忠兵衛は、


現代でいう「愛着障害」の傾向があるのかな、と感じました。


愛着障害(あいちゃくしょうがい)は、乳幼児期の虐待やネグレクトにより、保護者との安定した愛着が絶たれたことで引き起こされる障害をいう


「甘える」や「誰かを信頼する」などの経験値が極端に低いため、自分に向けられる愛情や好意に対しての応答が、怒りや無関心となってしまう状態。


和希さんの役作りは、愛しい女のために、元は無骨な男が羽目を外した、というよりは、


元から羽目がかろうじていびつに引っかかっているような、危うい忠兵衛像を構築していたと思います。



遊女=性奴隷制度にNOを訴え続ける梅川



今回の上演を拝見して、近松門左衛門ワールドが、哀しい恋の物語というより、


カネカネカネ ゼニゼニゼニ


この世の沙汰は金次第


地獄の沙汰も金次第


元禄の「ナニワ金融道」みたいな世界になったなあ、と思いました。



これはべつに揶揄しているわけではなくて、300年前に実際に生きて死んだ忠兵衛と梅川の存在が、偉大なブンガクとか、様式美とか、お約束の衣を破って、


女性の性を商品化する遊郭の非人道性


彼氏の借金のカタに風俗嬢として働く女性の貧困問題


をえぐる社会派ドラマ的になったという印象です。



そんな印象を抱いた理由は、やっぱり梅川を演じる夢白さんの「伝統的和物の様式美」に収まらない生々しさです。


「遊ぶ女」とか「春を売る婦人」と婉曲表現されますが、英語辞書で調べると


a call girl


a sex care provider


 a sex worker


 a sex salve


梅川は、決して自ら望んで自由意志でsex workerになったわけではなく、親の前借金で拘束する人身売買の犠牲者。


かもん太夫 姐さんの、


「好きな人と幸せになりたいなんて思っちゃ身の破滅よ。高い金で買ってくれる男のところで咲きなさい」


その忠告を受け入れて、田舎のお大尽のもとに行くのが、廓の資本主義のルールでは利口な生き方なんでしょう。


でも


「嫌いな人に金で買われて結婚するの、ヤダ



廓の資本主義のルールに反した思考ゆえに、梅川は忠兵衛と雪山で野垂れ死ぬこととなった。


でも、私は、梅川を「愚かな女」と断罪できない。


この物語で一番脆そうで強いのは、廓の掟より忠兵衛への愛の掟に殉じた梅川だったのでは、と思いました。