朝美 絢がデンマークの主治医に『海辺のストルーエンセ』
ミュージカル・フォレルスケット
『海辺のストルーエンセ』
作・演出/指田 珠子
北海とバルト海に囲まれた潮騒響く国、女神フレイヤが住まう所・・・
18世紀中葉、若き王クリスチャン7世が治めるデンマーク王国。大北方戦争後の中立政策によって、人々が平和な時代を謳歌していた頃。
小さな町医者ヨハン・ストルーエンセは、啓蒙思想に傾倒し、保守的な医療現場を改革しようと奮闘していた。
新しい考えを広め、いつか大きな世界で活躍したいという野心を抱くヨハンは、その美貌と賢さ、エレガントな立ち振る舞いを武器に、専属医として王達に近づく。
そこで目にしたものは、享楽に耽る王クリスチャン、無能な王を放任し国政を牛耳る宮廷官僚達、我が息子を王位に就かせようとするクリスチャンの継母ユリアーネとその一派、そして異国に慣れず王と不仲の王妃マチルデ。
宮廷は「病」に満ちていた。
国政を握り、世直しを行うチャンスとばかり、「治療」を開始するヨハンだったが、次第に孤独な王妃に惹かれていく。
果たして2人の、そしてデンマークの向かう先は・・・
なぜデンマークが町医者に牛耳られるほど重病になったのか?
北海とバルト海に囲まれた潮騒響く国、女神フレイヤが住まう所デンマークとは「デーン人の境界地帯」という意味。
デンマーク人の先祖は、いわゆる「ヴァイキング(ノルマン人)」と呼ばれた人たちです。
一部のデンマーク系ヴァイキングは、北フランスに渡ってノルマンディー公国を建国。
1066年、ノルマンディー公ウィリアムは、イングランドを征服して支配しました(この影響で、英語には古代のデンマーク人の言葉に由来する単語がたくさんあるそうです。)
1397年~1523年まで、デンマークは北欧世界のリーダーとして、スウェーデンやノルウェーも支配していたのですが、
1523年、スウェーデンが分離・独立。
1618年にドイツで30年戦争が起きた時は、参戦したものの得るものは無く、かえってスウェーデンが力をつけるきっかけとなった。
スウェーデンがどんどん力をつけて、デンマークは面白くない。
スウェーデンは、北の覇権をかけてついにロシアと戦争に。
デンマークはロシアにつく。
スウェーデンはロシアとデンマークの連合軍に負ける(大北方戦争1700年 - 1721年))。
スウェーデン、ざまあ。
と言っている場合ではなくて、「これからは中立政策で、小さい国ながらも、みんなで協力して、畑を耕して平和に生きよう!」と決意するも、
戦争に参戦したので金はかかったし、穀物価格が下落、
農村の若者は「おら、こんな村いやだ。コペンハーゲンへ出てべこ🐄曳くだ」
と逃げ出すので年貢は入らず、財政はガタガタ。
みんな、村に帰ってべこ曳いてくれ!
そんな不穏な国にイギリスから嫁いできた、寂しい王妃マチルデ。
享楽に耽る王クリスチャン、
無能な王を放任し国政を牛耳る宮廷官僚達、
我が息子を王位に就かせようとするクリスチャンの継母ユリアーネとその一派・・・
王妃マチルデ「この国には、治療が必要だわ・・・」
医師ヨハン・ストルーエンセ「この国に溜まった膿を、腫瘍を取り除かねばなりません。
私に手術させてください。さあ、メスをお渡しください。」
朝美絢みたいな医師になら、自分の、国家の命を賭けてみたくなるよねえ・・・